いつか晴れてほしい空2

ママが社会、教育、生き方について思うあれこれ。

今いる場所はあなたに合ってる?

 

「場」に自分自身を押し込めようとしていた。
合ってないのに。


だから苦しかった。

 

最初は合ってたのかもしれない。


自分も、「場」もだんだん変化していった。
互いにどんどん違う形になっていったんだな。
そして押し込められないほど合わなくなった。

 

合わなくなったから出る。

 

場はいろいろあるんだし。


自分に合う「場」は必ずある。

 

今いるところ、職場だったり、学校だったり、コミュニティだったり、

あなたに合ってる?

 

 

 

 

中国の民主化はあるのか?中国人の家に遊びに行って考えてみた。

中国では民主化運動はあまり広がらないかもなぁ。
知人の中国人の地方の家に遊びに行って感じた。


わずかな期間しか滞在していないし、中国の専門家でも何でもないので印象に過ぎないのだが。


中国では初日から手厚い歓迎を受け、連日どっぷりと友人のコミュニティ(親族や友人から成る)に浸かることになった。
こんな濃密な人間関係、見るのも体験するのもはじめて。

正直気疲れしてしまった。(^^;)
日本の地方にも濃密な人間関係はあるだろうが、こんなに濃くはないだろう。
友人を空港に車で送るといって何時間も走ったり。


お互いに助けあって、日常の様々なことがそのコミュニティの中で完結するようになっている。(だから、プレゼントやお土産を買うのが大変!何個買えばいいの⁈これでは爆買いもやむを得ない。知人も中国に帰るとき何個もシェーバーを買ったりして大変そうだった。)

コミュニティから外れたら生きてはいけないかもしれない。

特に、公共的基盤の整わない地方では。

コミュニティが生活の全てで、コミュニティの外には関心は向かない。

コミュニティの外にある政治も例外ではないだろう。

 

以前からあったギモン。
なぜ、中国の人は一党独裁体制でモンクを言わないのだろうか?

いつか国民側から民主化運動は起こるのだろうか?

 

その答えがうっすらわかったような気がした。

 

コミュニティに全力が注がれていて、政治には関心がない。そもそも政治に多くを期待していないし、経済的な不満がなければそれで十分。

(医療に関してはかなり不満はあるようだ。日本のように病院はたくさんない上に費用が高いので、抗生剤などの点滴も薬局で購入して自分で打っている状況もある。)


その様な状況であれば民主化の意識は育つことはないだろう。何らかの不満をきっかけに単発的に発生しても外に関心がないから広がらない。

 

都会では状況は異なり、コミュニティも緩やかになり、民主化の意識は育つかもしれないが、中国の大部分は地方だ。

 

そういう意味で中国は経済的不満をなくすことで今の体制を維持できるんだろうな。
ただし、格差が開きすぎるとどうなるかわからない。 

 

中国人は強くて大きい中国に誇りを持っていて、謙遜したり、変に卑下したりもしない。これは日本人とは違うところだなと感じた。戦後の教育のせいかな。。(彼らに謙遜文化がないわけではなくて、自分自身のことなど日本人同様に謙遜する。)

 

実は遊びに行く前、行き先が全く観光地ではなかったので、正直日本人という理由で反感を持たれたり、嫌がらせを受けたりしないか心配でした。子どもも一緒だし。(^^;)

でも、それはとりこし苦労で、全くそのような振る舞いも気配もありませんでした。私が知人だからということでもなさそうで、日本人に対する偏見も特になさそうでした。これも外への関心が薄いことの結果かもしれないけど。

 

 

 

 

危険!「共謀罪」で一般の人々が処罰されてしまう!

共謀罪について、政府の統一見解では

テロ組織や暴力団などに限らず、市民団体や労働組合、会社なども対象となるとのこと。

つまり「普通の団体」も処罰されてしまう!

 

安倍首相はこれまで「一般市民が対象となることがあり得ないよう検討している」と説明していたが、またいつものパターンで、反発が起きにくいようにパフォーマンスしていたにすぎない。わざと無能な金田勝法相を任命したり。議論が進まないように。

最初から「普通の団体」も処罰されるという結論ありきだったのでしょう。(一貫性がほしいもの。信用したくてもできない。)

 

国が圧倒的に『力』をもつ中で、ほとんど『力』を持ち得ない一般の人々はどのようにしたら意思表示ができるのだろう?

お金も権力もない一般の人にあるのは自身の体だけ。

そんな中でせめてもの意思表示として、体をはって、例えば座り込みなどをする行為すら「犯罪」とされてしまう。

 

国がいつだって正しい判断や行為がとれるとは限らない。

戦前のように国が暴走するかもしれない。

(すでにもう暴走している状態ともいえるが。)

共謀罪」で一般の人々はその暴走を止めるすべを失ってしまう。

止めようとすれば、捕まって犯罪者とされてしまうから。

戦前のように。

 

国がさらに国民の管理を強めている。

 

これでまた戦前の悲惨な日本に一歩近づいた。

 

今の日本は未来に進んでいるのではなく、過去に逆戻りしている。

退化していってる。

 

こどもには戦前のような日本を残したくはない。

 

 

有名私立小の子も国立小の子も公立小の子もみんな盛り上がった話題は?

息子が通うある習い事教室には

公立小学校の子も国立小学校の子も有名私立小学校の子もいろいろいる。

 

小学校受験する子は

文京区に住むママからお行儀教室?みたいのに通って、正座をして手をついてお辞儀をしながら「お父様、お母様」っていう練習をしてるって聞いたことがあった。

だから、みんなお行儀よくて大人しくて賢いんだろうな〜(勝手な思いこみ⁈)

ガチャガチャしてる、良く言えば活発な?うちの子と合うのかな〜

とか思ってた。

 

だけどそれは杞憂で

みんな一緒に元気に楽しんでる。

 

この前なんて、

「お父さんはクサイよね〜!」

とみんなして(全員男の子)口々に言って盛り上がってた。なんでそんな話になったのか。。(^^;)

一部のお父さんたちも見学してる中だったので、先生が慌てて

「みんなだって男性なんだよ‼︎」

とフォロー?してたけど、

きっと、そうゆうのって、家でお母さんが言ってるんだろうな〜

これぐらいの年齢だと、それをマネして子どもが言ってる。

なんて、想像しちゃった。

 

家庭はいろいろだけど、似たような話題をしてるのかも??

 

 

 

 

 

 

 

 

<口コミ>映画「この世界の片隅に」に感動できなかった。戦争の日常性が怖かった。

 

映画「この世界の片隅に」が公開映画館が増えていると思ったら、

興収20億円を突破し、アメリカやフランスでも上映予定だそうだ。

 

私はこの映画をまだ公開映画館が少なかった頃に観た。

ネットの口コミは感動したとの声であふれていたから、感動したくて。

こどもに戦争の映画を見せるのにアニメは取っつきやすいかなと思って。

ちょうど『火垂るの墓』のように。

 

ただ率直な感想として、感動できなかった

私は結構涙もろい方だと思うんだけど。。

むしろ、画面全体にあふれる優しい感じとは裏腹に、

なんとも言えない違和感、怖さが残った

 

この違和感と怖さはどこから来るのだろう?

 

後で考えてわかったのは

①戦争の日常性

②戦争を被害者意識だけでとらえること

からくるということ。

 

①戦争の日常性

 

日常生活の中に戦争はいつの間にかやってきていつの間にか去っていた。

戦争は飢餓や空襲、身内の死、、という形で生活の中に入り込むが、どこか他人事のよう。

「空襲もう飽きた」とか。

近くの町で原爆が落とされても日常生活は続く。

生きなきゃいけないんだから当たり前といえば当たり前なのだが。
大変な状態であるはずの戦争がごく自然に日常生活の中に、人々の意識の中にあるのが怖い。

この感覚はこの映画の狙い通りだろう。

 

②戦争を被害者意識だけでとらえること

 

戦地に赴かなかった一般の人々にとって戦争は被害の記憶しかないかもしれないが、

こういう普通の人々が世論を形成し、独裁体制だったとはいえ、政府を支持したていた以上、

加害者であることも間違いない。(人々は新聞で敵国の民間人殺害記事を見て、まるでスポーツ記事でもみるように楽しんでいたのだ)

この映画はその視点が全く感じられない。

そこに違和感を感じる。

 

アメリカ人の日本の近代史の研究者ジョンWダワーが

『昭和ー戦争と平和の日本』という本で

「日本人は先の戦争を自然災害と思っている」と指摘していたが、

まさにそのように映画では戦争が描かれている。

そして戦後の教育もあって、多くの現代の人々も戦争を自然災害と思っているのだろう。

だから、「健気な主人公が戦争で多くを失うが、健気に笑顔で日常生活を続けていく。」姿に感動するのではないのだろうか?

戦争は自分たちの仲間を多くを失い、悲しみを多く生むから戦争はやめようというメッセージは伝わる。

 

ではなぜ、戦争を自然災害と思うことが怖いことなのか?

 自然災害は防げないけれど、戦争は人為的なものだから防げるもの。

自然災害にあったように認識すると、仕方なかったとか運が悪かったとか考えて、

防ごうとしないことにつながるので、危険だし、怖いことだと思うのだ。

 

こういった日本人の戦争観を感じ、考えるよい機会にはなった。

 

先の戦争で日本とは立場の異なるフランスやアメリカで上映されてどのような反応があるのか気になるところ。

 

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 

 

ブログのアクセスアップのためにみんなが読みたい記事をかく?自分が書きたい記事をかく?ブログを書くときのジレンマ

ブログを書くときに少しジレンマがあります。

 

①自分が書きたい記事を書くか?

②みんなが読みたい記事を書くか?

 

いつも迷います。

 

私が書きたい記事はマジメでかたーい内容が多いので①だけだとアクセスが集まりません。アクセスを集めて、多くの人の目に触れてもらうためにも②が必要です。かといって②ばかりになってしまったら、何のためにブログをやっているのかわかりません。

 

アクセスを集めることが一番の目的であれば、

すっぱりと②!ということになると思います。

でも私はブログを通じて自身も含めて多くの人が社会や政治、教育、生きることについて考えるきっかけとなることを願って発信していきたいと思っているのですっぱりと②!というわけにはいかないのです。

 

こう思っている中で、私が最も伝えたい言葉がある記事が最もアクセスがあった♪ことはとてもうれしい☆です。(まぁわずかなアクセスの中でということですが(^^;))

こちらがその記事です。↓

 

itusora.hatenablog.com

 こうした①のような記事は検索のキーワードになる言葉もほとんど含まれていないし、一般用語ばかりです。

無駄な言葉は省き、わかりやすくシンプルにまとめるのが美しいと思っているので、文字数も500字程度です。検索にもあがってきません。

それでも、伝えたい思いのつまった記事を読んでもらえたことがうれしいのです。

わずかでも読んで下さる方がいるということが単純にうれしいです。

 

①にはこんな記事もあります。↓ 

itusora.hatenablog.com

 

 

 

もちろん②の社会ニュースや流行、お役立ちをとりあつかった記事はアクセスは集まりやすかったです。こちらも↓楽しく書かせてもらっています!

 

itusora.hatenablog.com

 

 

itusora.hatenablog.com

 

 

itusora.hatenablog.com

 

 

 

 

 

子どもがくれた言葉と爬虫類に癒される。オススメの図鑑とiZOOで爬虫類に癒される。

テレビにガラパゴス島に住むカメが映っていた。


マイペースに歩く姿を見て、私は
「私もガラパゴス島のカメに生まれたかったな。のんびり歩いて、ありのままに生きてる…」
とポツリとつぶやいた。

 

すると、一瞬の間の後、
子どもが言った。
「ぼくはお母さんと会えたから人間でよかったよ。」
って。
ちょっぴり悲しそうに。

 

ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。
でも、ありがとう。
嬉しい。

 

子供の頃はカメとかトカゲとか爬虫類はあんまり興味なかった。

全然動かない&動いても遅い から。

だけど大人になってからはむしろそののんびりな感じに癒される。

変温動物だから体が温まらないと動けないわけで、

無理をせず、彼らのペースで生きている。

彼らを見ていると、

自分のペースでいいんだよ。

ゆっくりでいいんだよ。

って思える。

 

子どもも爬虫類、両生類が大好き♪

なのでうちにはおんなじような爬虫類、両生類の図鑑が何冊もある。下↓の図鑑が一番お気に入りみたい。

ご飯どきに何十匹ものヘビがニョロニョロしている付録のDVDを見させられたり。。

結構付録のDVDがBBCの映像で内容がしっかりしてます。

 

DVD付 爬虫類・両生類 (学研の図鑑LIVE)

DVD付 爬虫類・両生類 (学研の図鑑LIVE)

 

 

 

よく見にも行きます。 

爬虫類を見て、触りたいなら

伊豆の河津にあるiZOOがオススメ!

トカゲ、ワニの赤ちゃん、ヘビ、イモリにさわれます。トカゲやイモリはグミみたいにぷにぷにで気持ちいい♪ゾウガメが園内を普通に歩いていて、エサもあげられます。ばくばく食べます。子どもが喜ぶこと間違いなしです☆

 

http://izoo.co.jp/index.html

 

 


 

 

人生に悩んだときに役立つ本ー「超訳ニーチェ」「独学術」

あなたにはあなたの支えとなった本はありますか?

 

私にはあります。

超訳ニーチェの言葉』。

人生の岐路において出逢い、

私に発想の転換を促し、

私の支となった一冊です。

 

わかりやすい言葉に訳され、

心にスッと入ってきました。

 

わかりやすいといっても、

よくある自己啓発書にあるような軽い言葉が使われているというわけではありません。

ゆるふわの優しい癒しの言葉が並んでいるわけでもありません。

 

硬直した思考を、

こういう考え方もある

と鋭く指摘することで解きほぐしていきます。

 

一番役に立っている言葉は

疲れたと感じたら、考えない、思わない

いつものように毅然としていられなくなったら、疲れている証拠だ。疲れていると、わたしたちはため息をつき、愚痴を口にし、後悔を口にし、ぐるぐると似たようなことを考え、そのうち憂鬱なことや暗いことが頭の中を勝手に動き回るようになる。

それは毒を吸うようなことだから、疲れたと感じたら、考えることをやめ、休んだり寝たりするに限る。そして、また毅然として活動できるように明日に向かって備えよう。

            『超訳ニーチェの言葉 白取春彦編訳』より

 

つまり

「マイナス思考になっているときはただ疲れているだけだからさっさと寝るのが良い」

 全然難しくないし、役立ちそうでしょ?

マイナス思考でぐるぐるしているときは

思い出して寝ちゃいます!

 

あまりに読みやすいので

ニーチェの原著を読んだことはないのだけれど、(読めない)かなり意訳されているのだろうか?訳者のとらえ方が付加されてないだろうか?とか失礼ながら、心配したこともありました。

 

しかし、訳をかかれた

白取春彦さんの『独学術』

を読んで、

物事を深く広がりをもってとらえる方だと知り、

余計な心配だったとわかりました。

 

わかりやすかったのはニーチェのその真意を十分に読み取っているがゆえなのでしょう。

 

この「独学術」は独学をするためのハウツー本ではありません。

そもそも独学とは何か?とか

その心持ちであったり、

独学の楽しさ、おもしろさ、美しさを自身の経験や具体例とともに語っています。

この時々挿入されるちょっとした具体例がおもしろい発見に満ちていて思わず、独学の世界へいざなわれてしまいます。

 

独学するとこんなことがわかるのか⁈おもしろそう!とこんな具合に。

 

 

超訳 ニーチェの言葉

超訳 ニーチェの言葉

 

 

 

独学術 (ディスカヴァー携書)

独学術 (ディスカヴァー携書)

 

 

子育て世代の力ー女性雑誌から共謀罪や憲法、安保法を考える

ここ数年、安保法や憲法、最近では共謀罪などの問題が女性雑誌(すみません、男性雑誌のことはわかりません)でとりあげられるようになった。私も時々見るVERYで読んだことがある。

雑誌という、普段の生活で気楽に手にするもので、こういったテーマが取り上げられていることに希望を感じた。(ぜひ、政府与党関係者からご指導が入ったとしても続けてほしい)

一方でそれだけこの国が危機的状況にあるということだとも感じた。

 

子育て世代は、特に女性はこどもという未来を一番近くに感じていて、
未来について真剣に考えている。

 

彼らに希望と期待を感じ、女性週刊誌で取り上げられているのだろう。もちろん、彼らがそのテーマを求めているということもあるだろう。

 

子育て世代こそが近視眼にならずに、
未来について最も責任をもって考え、
声を上げていける力ある存在だ。

 

☆子育て世代は希望です☆↓

 

itusora.hatenablog.com

 

 

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「戦闘」を「武力衝突」といっちゃう稲田防衛大臣、憲法を骨抜きにしようとする意図が見え見え!

南スーダンPKOに関して、陸上自衛隊から「戦闘」が報告されていた問題について、稲田朋美防衛相は「戦闘行為」を「武力衝突」と言い換えた。

しかもその言い換えた理由について、ぬけぬけと

「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」とおっしゃった。

 

言葉さえ問題なければ、事実は関係ないとばかりに。

重要なのは事実。事実が憲法に合っているか?だ。

事実は無視し、言葉だけを求めるなら、憲法に記された言葉は無力になる。

 

こんなふうに安倍政権になってから、

憲法が次々と骨抜きにされている。

 

憲法は一般の法律のように私たちをルールでしばるためにあるのではない。

 

憲法は力の弱い私たちを守るためにある。

強い力を持つ悪いリーダーによる悪い命令から私たちを守るために。

 

憲法はリーダーをルールでしばるものである以上、

国を自分の都合の良いようにコントロールしたい者にとっては邪魔なだけ。

彼はできるだけ憲法を骨抜きにし、

今度は国民をしばるルールを国民に押し付ける。

それが彼の目指すところ。

 

どんなに立派な憲法があっても、

私たちが当たり前と思って私たちの憲法を護ろうとしなければ、

憲法は私たちを守ることができなくなってしまう。

 

ワイマール憲法ヒトラーに骨抜きにされてしまったように。

 

忘れたくないし、子どもにも伝えたい。

今の生活は現憲法に守られた結果、存在することを。

 

 

 

原発問題に無関心だから、福島から避難したこどもへのいじめが起こる。

戦争がどこか他人事のようだったように

原発事故もどこか他人事だった。

 

だから、脱原発は一時盛り上がったものの消沈してしまったのかもしれない。

 

原発事故が起こった時は、一般の人々の中で事故で自分たちの日常が変わってしまうかもしれないという意識が高まったものの、福島以外は結局何も変わらなかった。

これまでと同様の生活が送れることがわかり、原発問題はもはや他人事になった。

自分事である経済の方がずっと優先事項で、無関心の結果として、現在の原発再稼働がある。

 

原発維持でも脱原発でもいい。
人々が自分事として熟考した結果、だした答えなら。

 

自分事としてとらえていないから川崎や横浜、千葉で福島から避難したこどもへのイジメがおこるのだろう。

福島の原発から発電した電気を使っていたのはまさに川崎や横浜、千葉などの首都圏の人々なのに。

福島を犠牲にして、安全な場所で電気を使う人々。書いていて気づいたがなんだか沖縄の米軍基地の問題とも似てる…

 

戦争、原発、沖縄…自分ごととして考えるにはどうしたらいいのだろう?


この国では一般の人々が自分ごととして考えることすら疎まれている雰囲気がある。

それは政治家や評論家のすることで素人の自分たちが口出しすべきではないとでもいうように。

一般の人々の自然な感覚が貴重なのに。


子供の頃から、考えて討論してということが政治を身近にし、様々な問題を自分事としてとらえていく道になろうか。

 

現在、50基以上の原発が日本の海沿いに建てられている

私たちは原発に囲まれて暮らしていることになる。

東日本震災で日本の原発がその電源を失うだけで、危機的状況に陥ることを、全世界に知られてしまった。

つまり、日本へ敵対心を持つ者へ「原発本体に対して大掛かりな爆弾をしかけずとも、電源やシステムを狙うだけでも日本に大打撃を与えることが可能」と証拠を持って知らせてしまった。

北朝鮮保有する核弾頭なんてなくても、

日本にすでにある原発を攻撃するだけでも同じ効果が得られるのかもしれない。

もちろんまた大地震だってあるかもしれない。

 

私たちは自分たちの原発の爆発によって自滅することになる。

そういう意味では原発は核の自爆装置といえる。

そんな核の自爆装置に周囲を囲まれて暮らしている私たち。

まるで袋の鼠だけど、爆発したらどうやって逃げたらいいの?

 

そんなハラハラしながら暮らす未来を子どもに残したい?

 

原発関連☆

 

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 ☆沖縄イジメは福島イジメと構図が同じです。↓

 

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パクチー食べたい!フォーが食べたい!首都圏でベトナム料理を食べるならココがおすすめ!

最近若い女性の間でパクチーが人気だそうで。

夕方のニュースで岡山県の小学校でパクチーが給食に進出!といっていた。

その小学校の地元でパクチーの生産が盛んだからだそうだ。クセのある香りもこどもたちは意外と気にならなかったようだ。

 

私も最近パクチーの魅力を再発見した一人だ。

実はこどもの頃からつい最近まではパクチーの香りが大好きというわけではなかった。

わざわざ食べるということはなかった。

 

身も心も疲れ切っていたある日のこと、ふと、目の前をみたら

『COMPHO』というフォーのお店があった。

ふらふらと吸い寄せられるように店に入った。

鶏のフォーを食べた。

あぁっ~!これっ!

レモンのきいた鶏のスープがその疲れて、寒く冷え切った心と体をじんわりと満たしてゆっくりと癒してく。スープの中のパクチーを一口食べるごとに体が浄化され、元気が増していくようでひとかけらも余すことなく食べた。

(後で気がついたことだけど、パクチーは免疫力up効果があるとか。考えてみればフォーはカロリーも少なめでダイエット中にもいいし、とっても体にいいではないの!?フォー食べて元気になったのは偶然ではなくて、なるべくしてなったんだ!)

 

この経験がきっかけでフォーに目覚めて

疲れているときはもちろん、疲れてなくてもフォーを無性に食べたくなってしまった。

そこでベトナム料理屋を探した。意外と都内にも少ない。

タイ料理屋は結構あるのだけれど、ベトナム料理専門の方がおいしそうかなと思って。

 

で、前置きがながーくなったけれど、

ベトナム料理いってみてよかったのがこの3つ☆☆☆

 

まずは東京丸の内にある

レストラン サイゴン

です。ランチは1000円前後でお得なフォーと春巻きのセットとか食べられます。

パクチーしっかり、レモンしっかり、生もやししっかりあって体がみずみずしくよみがえります。春巻きもエビの味がおいしいです。

平日の昼は近隣のサラリーマンやOLで混んでいます。

サイゴン 丸の内店

食べログ サイゴン 丸の内店

 

横浜方面なら横浜そごう内の

ジャスミンパレス

です。ランチは1200~1500円くらいでフォーと生、揚げなどのいろいろなタイプの春巻き、デザートついたセットが食べられます。揚げ春巻きがおいしくて、追加注文してしまいました。

ジャスミンパレス 横浜店

食べログ ジャスミンパレス 横浜店

 

最後に先にも書いた

COMPHO

です。

チェーン店でいろいろなところにあるし、気軽に食べられるから時間がないときやちょっと食べたいときにオススメ。太らないヨ。

いったことないけれどこういうところもあるみたい。いきたい。

 

 

 

 

 

 

子どもに『バカ!』と怒鳴ってしまった。ゴメン。

朝からモヤモヤしている。

原因はわかっている。

 

子どもに怒鳴ってしまったから。

「バカ!」

と。

 

そこまで怒るほどのないことに対して。

 

子どもは力なく、悲しそうな顔をして、

「なんでそんなこというの?」

と。

 

いつも子どもに『バカ』と言ってはだめだよ。

と言っているのに、自分が言っている。

子どもは優しい子で、『バカ』と言っているのは見たことも聞いたこともない。

 

こんなに優しい子に、少なくとも私よりは優しい子にヒドイことを言って傷つけてしまった。

ポーッとしてる子だけど、絶対傷ついてる。(/ _ ; )

 

私は小学校一年生の時、担任の先生に言われた一言をまだ覚えている。その一言でその先生に対する感じ方は変わり、何十年経った今でも不快な気分とともに思い出す。小さくても傷ついて、残るんだよね…

 

子どもが悲しい顔をしたときに

実は少し、気がついた。

自分の酷さに。

でも、おかしな親の?プライドが邪魔して謝らなかった。

これがまた悔やまれる。

 

子どもが学校から帰ってきたら

絶対に絶対に謝ろう。

 

たぶん、自分のために。

 

☆うちの息子こんな感じの子です☆↓

 

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沖縄ヘイトはなぜ生まれる?物事を多角的に見よう。

テレビのニュースを見ながら

「沖縄はダメだね~」

という人がいた。

この人はそんなに沖縄の問題に詳しいのだろうか?

 

テレビや新聞、インターネットのニュースサイトを少しなぞっただけで、物事の両面をみることはできない。みるように意識しないとできない。人は見たいものしかみることができないから。

 

テレビや新聞、インターネットのニュースサイトは大多数の人が読みたいものを発信するという性質上、完全に中立であることは不可能だ。今は多くが右よりだ。それだけ多くの人が右よりの内容を求めているということかもしれない。

見る側としては常にどのような立場から発信されているかを考えながら受け取らないと、知らず知らずのうちに偏った考えを持ってしまう危険がある。

 

ある考えがすべての立場から考えた上でたどり着いた結果であれば、問題ないのだが、片面だけ見て、すべてわかった気になって、ジャッジを下すのはあまりに無知というもの。さらに、始末が悪いのは本人が無知であることを自覚していない点だ。中にはあえてもう片面を見ようとしないものもいるだろうが。

 

日本特有の『記者クラブ』という政府の広報機関と化したようなところから情報が発信されている以上、どうしても「政府」が主語となるニュースが多くなる。

 

たとえば、沖縄問題に関しては、政府が正しく、沖縄が間違っているという論調になる。だから、これをただうのみにする人が何かわかったつもりになって、

「沖縄はダメだね~」

なんてこぼす。

これが、エスカレートしてオキナワヘイトになる。

 

私自身は沖縄問題に詳しくないので

今後基地をどうすべきかということについて述べる立場にはないけれども、

沖縄に基地を負担してもらっているということぐらいはわかる。

だからそんな風に上から目線で沖縄ダメだなんていうことに非常に違和感を感じる。

 

 

砂糖が固まって石のようになってしまったときはどうすればいい?いろいろ試してみた。

小さなことだけど私にとっては大きな発見をしたので☆

 

今日はブリが久しぶりに安かったので

ブリ照りにでもしようと

料理を始めたら、

砂糖がヒドイことになっている!

 

岩石と化した砂糖しかない。(*_*)

こんなに固まっているんじゃあ大匙で測ったりなんかできない。

 

わざわざ買いに行くのもねぇ。

とりあえず砂糖岩と戦うことに決定。

 

まずは、フォークでガンガンさしてみる。

当然刺さらない。

ヒビも入らないどころか粉もでない。

そのうちにフォークの先が曲がってきてあえなく敗退。

 

これはハンマーしかないか?

でもハンマーあんまりキレイじゃないよな。

そんな砂糖イヤだ。(;´д`)

 

次にボールの底に投げつけてみる。全く効果なし。フォークよりダメ。

 

そうだ!おろし器はどうだろう?

おろし器で砂糖岩石をおろす。

すごい。

あんなにゴリゴリに硬かった砂糖がさっらさらの白い粉に!

感動〜‼︎

砂糖をおろすのも楽しい♪

 

これまで砂糖が固まることを恐れ、見て見ぬ振りをしていたけれど、

これからは恐れるこはない。どんどん固まってよし‼︎

 

白砂糖 (1kg)