原発問題に無関心だから、福島から避難したこどもへのいじめが起こる。
戦争がどこか他人事のようだったように
原発事故もどこか他人事だった。
だから、脱原発は一時盛り上がったものの消沈してしまったのかもしれない。
原発事故が起こった時は、一般の人々の中で事故で自分たちの日常が変わってしまうかもしれないという意識が高まったものの、福島以外は結局何も変わらなかった。
これまでと同様の生活が送れることがわかり、原発問題はもはや他人事になった。
自分事である経済の方がずっと優先事項で、無関心の結果として、現在の原発再稼働がある。
原発維持でも脱原発でもいい。
人々が自分事として熟考した結果、だした答えなら。
自分事としてとらえていないから川崎や横浜、千葉で福島から避難したこどもへのイジメがおこるのだろう。
福島の原発から発電した電気を使っていたのはまさに川崎や横浜、千葉などの首都圏の人々なのに。
福島を犠牲にして、安全な場所で電気を使う人々。書いていて気づいたがなんだか沖縄の米軍基地の問題とも似てる…
戦争、原発、沖縄…自分ごととして考えるにはどうしたらいいのだろう?
この国では一般の人々が自分ごととして考えることすら疎まれている雰囲気がある。
それは政治家や評論家のすることで素人の自分たちが口出しすべきではないとでもいうように。
一般の人々の自然な感覚が貴重なのに。
子供の頃から、考えて討論してということが政治を身近にし、様々な問題を自分事としてとらえていく道になろうか。
現在、50基以上の原発が日本の海沿いに建てられている
私たちは原発に囲まれて暮らしていることになる。
東日本震災で日本の原発がその電源を失うだけで、危機的状況に陥ることを、全世界に知られてしまった。
つまり、日本へ敵対心を持つ者へ「原発本体に対して大掛かりな爆弾をしかけずとも、電源やシステムを狙うだけでも日本に大打撃を与えることが可能」と証拠を持って知らせてしまった。
日本にすでにある原発を攻撃するだけでも同じ効果が得られるのかもしれない。
もちろんまた大地震だってあるかもしれない。
私たちは自分たちの原発の爆発によって自滅することになる。
そういう意味では原発は核の自爆装置といえる。
そんな核の自爆装置に周囲を囲まれて暮らしている私たち。
まるで袋の鼠だけど、爆発したらどうやって逃げたらいいの?
そんなハラハラしながら暮らす未来を子どもに残したい?
☆原発関連☆
☆沖縄イジメは福島イジメと構図が同じです。↓