いつか晴れてほしい空2

ママが社会、教育、生き方について思うあれこれ。

森友学園問題、政治家の関与はあったのか?真相解明が不可欠。

森友学園の問題、籠池ファミリーのキャラが濃すぎて、学校申請の取り下げだとか、補助金詐欺だとかに話題が集中してしまっている。

もちろん、このような人たち、このような学校は問題あり過ぎて野放しにしておくべきではないのはたしかなんだけど、もっと重要なこと追求すべきことがあるよね?と感じる。

 

つまり、格安売却の一連の流れに特別な力が働いたのではないか?という点。

 

この部分をしっかりと明らかにしていかないと、トカゲのしっぽきりとおんなじで、第二第三の籠池登場を許すことになる。

 

現時点では安倍首相らが関わっている可能性も否定できないわけだから、政権への影響を考えて明らかになんてしたくないだろう。

学校の申請取り下げと土地の買い戻しするから、これでいいよね?と、とにかく早い幕引きを図ろうとしているようにみえる。

 

でも、ここでやっぱりうやむやにしてはいけない。

政権に取り入る人が破格の待遇を受け、

政権に反対する人が不利益を被る社会はもう民主制とはいえないよね。

これを許していくと独裁制の始まりだ。

 

籠池らのキャラに惑わされず、政治家の関与がなかったかしっかりと注視していく必要がある。

 

野党だけでなく政権与党である自民党の船田元衆院議員からも真相解明を求める声が上がっていることは評価すべきことだと思う。

 

森友関連↓

 

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北朝鮮は沖縄の米軍基地を狙っている⁉︎

3月6日に北朝鮮がミサイルを発射した。このとき北朝鮮は「日本にある米軍基地を攻撃するミサイル発射訓練に成功」と言った。

 

それってつまり沖縄のこと?

沖縄に日本にある米軍基地の実に75%が集中している。

 

私たちは沖縄、日本の防衛のために沖縄に基地があると理解している。沖縄に基地がなければ沖縄が狙われてしまうと。

 

でも、この北朝鮮の発言を聞くと、基地があるから狙われてしまうようだ。

 

真っ向から対立する論理。

 

日本がいくら基地があるから狙われないと言っても、

敵対する国が基地があるから狙うというのであれば、

基地があるところが犠牲になる。

 

先の大戦でも、軍事工場がある地域が狙われ、大きな被害を受けた。

 

沖縄は基地があることで守られるのか?狙われるのか?

 

☆沖縄基地関連☆↓

 

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トランプ政権はなぜ支持されるか?『ポピュリズムとは何か?』から考える

今、トランプ政権を始め、民主化先進国と言える欧米でポピュリズムが広がりを見せている。

 

トランプ氏が支持されているのは、

格差拡大のせいなんだろうけど、

わかるようでわからない。

 

差別発言をしたり、入国禁止令を出したり、とても民主的とは言えない。

 

アメリカの民主主義や自由は失われてしまうの?

 

この状況を理解するにはポピュリズムの理解が必要だ。

そもそもポピュリズムってなんぞや?

これもわかっているようで、

わからない。

 

ということで、

ポピュリズムとは何か?』ー水島治郎

という本を手にとった。

 

ポピュリズムの持つその排外的な姿勢から、私はポピュリズムは民主主義の敵だと思っていた。

しかし、ポピュリズムの特徴を知ると、むしろ民主的だと感じた。

 

ポピュリズムの4つの特徴

①「普通の人々」には「健全な人間理解」が備わっており、腐敗したエリート層の発想に勝る。その「健全な人間理解」を「ストレートに政治に反映させ」る。この「普通の人々」は一体的で、民意や特徴が同質であることを前提としているため、排外的な発想につながる。

②政治、経済、社会、文化において一握りの人々が支配を固めていることを前提とし、人民の「健全な意思」を無視する「腐敗したエリート」の支配を批判する。

③既成の政治に「民衆の声」をぶつけるカリスマリーダーがいる。

④具体的なイディオロギーがない。

核心部分は①②で

”政府を人民の手に戻す。なぜなら、政府はまさにその「普通の人々」に由来する存在だから。”

というのがポピュリズムだ。

 

 これを見るとポピュリズムに共感すら覚える。

 

ポピュリズムの効果

ポピュリズムの出現で

危機感を感じた既成政治の改革を促したり、

人々が政治に関心を持つようになったり

よい効果もあるようだ。

 

 

ポピュリズムの起源は?

ポピュリズムの起源は19世紀末のアメリカにあるという。格差拡大を背景に人民に依拠してエリート支配を批判する運動が起こった。これがポピュリズムと呼ばれるようになった。そもそもは人民の「解放」とか「救済」志向のあるもの。

 

 

ただどうしても腑に落ちないのがなぜポピュリズムが移民排斥とつながるのか?という点。

 

2つのポピュリズム

実は現代のポピュリズムは2つのタイプがあるという。

①労働者や貧困者がエリートを批判すべき特権層とみなし、圧倒的な格差社会で政治に適正な分配を求めるもの。

②再分配で保護された生活保護受給者や難民、移民を批判すべき特権層とみなし、排除しよう、引きずり下ろそうとするもの。

欧米のポピュリズムはこの②に当たる。

格差拡大を背景としてトランプ政権による入国規制は支持(49%)が不支持(41%)を上まっているというのもうなづける。

 

日本でも格差拡大を背景にここ数年、在日の人に対するヘイトスピーチやより弱い立場にある沖縄や福島の人に対するイジメが増えている。人は自分が絶対的優位にいて、自分の立場が脅かされないときには悪口を言ったり、排除しようとしたりしないもの。日本にもポピュリズムは広がりつつあるのかもしれない。

トランプ氏の登場やヨーロッパでのポピュリズムの広がりは人ごとではないと感じた。

 

 トランプ大統領の米入国規制への反発について日本の場合はどうか?を考えてみた。

  ↓

 

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行きたくないランチ会に行くのは時間の無駄。

人生は有限

自分の時間は自分でコントロールしていないと
いつのまにか、だだもれになってしまう。

 

時間をコントロールするとはどういうことか?

自分の価値観の中で
何にどれだけのわりあいで
時間を費すか決めること。

 

充実しているか?

幸せと感じているか?
が大切☆


そうゆう時間が私の時間といえる。

(一人で過ごすとゆうことではなく、
誰かと過ごす時間だったり
仕事の時間だったり、
育児の時間だったり…なんでも)

 

自分の判断もないままに"みんながやるから"
という理由のみで費している時間ほど無駄なものはない。(例えば、行きたくもないランチ会に行くとか!)

 

自分の時間を自分でコントロールしないで生きたら
それって誰の人生?
と感じるので、

目下の目標は
"私の時間"を増やし、コントロールすることかな。

環境は自分で変えられる。

大人になって、気がついたら

 

いろんな鎖でがんじがらめにされていた。

 

自分の力ではどうにもならないと

あきらめていた。


「自分の力ではどうにもならない」
という思い込みの鎖が一番きつく巻きついている。

 

その鎖の存在に気づき、

その鎖はほどくことができるものだと気づき、

その鎖さえほどいてしまえばあとは、カンタン。

 

結婚につながる出会いをGETするには?

結婚したいけど出会いがないんだよ〜
って話しをよく聞く。
男も女も同んなじことゆってる。


需要と供給があってるんだから、
あとは出会うだけなんだけど。
そこが難しいところなのか?

 

そんなことない!


出会いはいろんなところにあると実感したことがあった。

 

友人は旅行好きのどちらかというと恋愛には消極的な女の子。
彼女は数年前に添乗員付き海外ツアーに参加した。
そのツアーがきっかけで参加者同士仲良くなり、毎年集っていた。
参加者は中高年の方ばかりだったが、楽しかったため、ちょくちょく集まりに参加していた。


そんなある日、その集まりにあるおじさんがほかの旅行で知り合った若い男性を連れてきた。
おじさんはもちろん紹介とかじゃなくて楽しいから連れてきただけなんだけど、
そこで二人は出会ってしまったのです。
彼も彼女と同じくらいの年で旅行好き。
あっという間に息があってしまいました。

 

どんな小さな出会いも大切にして
フットワークを軽くしていると
自然に出会いって広がっていくもんだなと感じた。

 

そしてその出会いを交際、結婚につなげた要因は
趣味の延長で出会ったこと
にあるように思う。

 

合コンや紹介で出会うより
趣味の延長で出会う方が
"息が合う率=ヒット率"が高そうだもの。

 

結婚関連のおすすめ記事↓

 

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ひらめかない!そんなときは‥

なぁんにも感じない

なぁんにもひらめかない

 

滞ってる

 

そんなときは、刺激を受けようと
ムリに本読んだり人とあったりしないで

 

そのままぼーってしたり
散歩したりしてれば


そのうち自然にぽわっ ぽわっとでてくる。

 

とはいえ、こんな迷いもあります↓

 

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文明の進歩は幸せにつながるのか?

奥多摩の森林は江戸時代、幕府によって大切に保護されていた。

それが明治時代になって木々が次々と伐採され、

山々はすっかりはげ山になってしまった。

 

これまで、文明の進歩が最もすばらしいことのように語られてきた。

一方未開であることは蔑まれてきた。

 

本当に文明の進歩は人々を幸せにするのか?

文明が進んでいてもその代償として

守るべき、自然、命、絆、愛・・が

守られず、

これらに人々も守ってもらうこともない世界。

 

未開だとしても守るべきものを理解し、守って、

これらに人々も守られている世界。

 

どちらが幸せなんだろう?

 

このままただひたすらに

文明の進歩を礼賛していくことで

より幸せな世界が待っているのだろうか?

 

 

 

結婚する前に「好き」は必要?35歳女性の結婚から考える。

お見合いサイトで知り合った知人は

結婚前に

全然好きではないけれど

結婚して大丈夫なのか? 

心配してた。

おそらく、お相手側も好きという感情には至っていなかったのだろう。

 

ただ2人に共通していたのは

結婚したいということと

お互いに生理的に嫌ではなかったこと。

 

周囲の助けもあり、

なんとか結婚への運びとなった2人。

 

当然、会いたい会いたくないに関わらず、

準備のため、会う回数が増えていった。

 

回数だけでなく、2人で一つの結婚という目標に向かって、相談して決める機会も増えていった。

 

単純に会う回数が増えて好意を抱きやすくなったということもあるだろうが、

お互いに理解が深まったこともあり、

 

明らかに2人の距離が縮まり、

結婚した今はすっかりラブラブだ。

 

だから、結婚前に熱烈な恋愛感情は必ずしも必要ではないし、

ましてや二、三回会っただけで好きじゃないからやめるのは時期尚早と感じる。

 

他の物事同様に結婚にも

踏み込んでみないとわからないことはたくさんある。

どんなに結婚前にラブラブな二人だったとしても、一緒に暮らしたらこんなはずじゃなかったなんてことはよくあること。

今回の例のように結婚前に全く恋愛感情がなかった二人でも、ラブラブに暮らしていたり。

 

結婚前にあれこれ想像してみたところで

わからないものはわからないので、

 

生理的に嫌じゃないとか、

結婚の三大敵である酒ギャンブル借金がないとか、

詐欺じゃないとか

であれば

 

とりあえず、踏み込んで「結婚」してみてもいいのかもと思う。

 

こどもを持つとなれば、

一人の人生がかかっているので、

慎重さが必要だけれど、

 

今の時代、結婚ならやり直しがきく。

むしろ年齢を重ねているのなら、

バツイチの方がモテるかも⁈

 

白馬の王子さまを待つ必要はなく、

結婚して自分が白馬の王子にしてしまうってのもあるかも⁉︎

 

要するに

とりあえず結婚しちゃえ!

ということです。(ちょっと雑でスミマセン)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<口コミ>映画『人類遺産』を観て

『人類遺産』という映画を見にいった。

 

観るよりも感じる映画が好みなので、

不要な説明やセリフの省かれた

この映画は私好みだろうと思って、

さっそく見に行ってしまった。

 

人がいなくなって廃墟となった町や、建物、道、遊園地などが定点から

自然音のみで淡々と写し出される。

 

一場面一場面が芸術的で映画館ではなくて、

美術館にでもいるようだ。

 

廃墟のイメージはというと、

不気味だとか寂しいとか

だと思う。

 

この映画はあまりそういった感覚にはならなかった。

 

なぜか?

 

廃墟に、常に自然の気配を感じるからだ。

 

道路のヒビ割れからぼうぼうに生えた草、

劇場の朽ちた天井から降り注ぐ雨、

廃屋に差し込む柔らかな太陽の光、

割れた窓から入り込む風や鳥、

廃墟となった病院に入り込んだハエの音、

戦車を包み込む木々。

 

 これらは人類がいたときは入り込む余地はなかった。

 

人類がいたときは隔てられていた

人類世界と自然。

人類がいなくなって

人類世界と自然の壁がなくなって

じんわりと人類世界が自然にのみこまれていく。

 

いなくなったのは人類だけで、

自然はありのままにいつも通りに存在している。

その様子が静かながら生き生きとしていて、

不思議な穏やかさを感じる。

 

最後の場面では廃墟となった円形ホールのようなところに雪がふぶいてだんだん形がわからなくなり、ついにはすっかり真っ白になって見えなくなる。まるで、自然に遺産がのみこまれてていくようだ。

廃墟サンクチュアリ

 

こんな映画も観てます↓

 

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こどもと寝ると恐ろしいことが。。

こどもと寝るのはいいんだけど、

一つ恐ろしいことがある。

 

我が家で通称”ねじねじ”と呼ばれる現象だ。

 

寝ている間に子どもが私たちの体の下に足をねじねじとねじり込んでくる。

 

3歳くらいから始まって、その癖は未だに健在。

小学校入ったら直るかと思っていたのに。

足が寒いせいかと思って靴下を履かせたりしたけど、全然効果なし。それに、夏だってやるし。

 

こどもの足の指の骨と私の骨が当たったりするとぐりぐりしてほんと痛い。

お腹の下だって気持ち悪くなる。

骨が当たらなくても足が体の下に入り込むことでだんだん体が半分だけ持ち上がってきて、寝れない。

寝ぞうが悪過ぎて、こどもの足が私の頭近くにきているときは、枕の下に足をぐにぐに入れてくる。これまた枕がどんどん浮き上がってきて首イタっ!

 

これまでの経験上1番いい体勢は子供に背を向けて寝ること。

 

でも、恐ろし過ぎて痛過ぎてとにかく熟睡できないことは確実。(*_*)

 

みなさんのおうちでは『ねじねじ現象』はありませんか?

うちだけなのだろうか?

 

起きているときはこんな感じ↓なんだけどねぇ

 

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『不完全』はおもしろい。

『完全』は素晴らしいし、完結した美しさがある。

だけど、それ以上でもそれ以下でもない。

『完全』には未来はない。

どんな想像も入り込む余地はない。

だから、退屈だし、拒絶するような冷たさがある。

 

『不完全』には未来がある。

いかようにもなる未来が。

どんな想像も入り込む余地がある。

 

子どもは不完全な存在。

だから、おもしろいし、愛おしい。

花粉症治ってきたかも?

もう花粉飛んでるのかな?

 

例年だと寝て起きた瞬間に

まるで自分が天気観測機にでもなっちゃったかのように

その日の天気気温、湿度がわかってしまうほど、

敏感に反応していた。

すぐにくしゃみやら鼻水やら、目のかゆみが出てきてもう大変。

 

だけど、今年はほとんど症状がでない。

今年はあまり花粉が飛んでいないのかな?

薬もマスクも必要ない状態が続いてる。

症状もつらいけど薬飲んでの眠気もつらい。

薬飲むも地獄、飲まぬも地獄。。

 

そもそも花粉症を発症したのはここ数年のこと。

三月のある日、ものすごい花粉が飛んでいて空気が真っ白になっていたことがあった。こんな日は部屋でおとなしくしているのか賢明だと直感したが、山に行く予定がずいぶん前から計画されており、しぶしぶ行くことに。

よりによって杉の木がたーーくさん生えている山に行くなんてほんとどうかしてた。

断って相手とぎくしゃくしようとも行くべきではなかったのだ。

 

翌日から目が目ヤニで開かなくなった。瞼も腫れて、鼻水とくしゃみが止まらない。通常の薬も効かず。

 

それからは毎年この季節がくると気分が落ち込むものだった。

ただ、だんだんと症状が軽快してきているのは感じていて、

もしかすると今年はだいぶ良くなっているのかも。

特別今年の花粉が少ないというわけでなければ、

このまま良くなる、元に戻るかも⁉︎

 

 

 

 

息子の絵が思いがけず評価される。

息子が絵の賞をいただいた。

けっこういいやつ。

本人的にも私的にもそんなに大本命の絵ってわけではなかったので、

本当?何かの間違いじゃ?

と信じられない。

なぜ、賞をいただけたのかはわからない。

どこらへんが評価されたのか?

 

夫は確かに数ある息子の絵の中でこれが1番いいといってだけど。

 

ブログの記事もそんな傾向がある。

気合い入れて時間かけて本命!って思ってる記事よりも、

つらつらつらってなんとなく書いた記事の方が、

アクセスがあったり。

わからない。

もちろんアクセス自体はうれしいし、感謝なんだけど。

 

いわゆる勉強とは違うところかな。

勉強はやったらやった分だけ反応がある。

 

あーそれにしてもそもそも、

最近このブログちゃんと表示されてるのかわからない。