<口コミ>映画「この世界の片隅に」に感動できなかった。戦争の日常性が怖かった。
映画「この世界の片隅に」が公開映画館が増えていると思ったら、
興収20億円を突破し、アメリカやフランスでも上映予定だそうだ。
私はこの映画をまだ公開映画館が少なかった頃に観た。
ネットの口コミは感動したとの声であふれていたから、感動したくて。
こどもに戦争の映画を見せるのにアニメは取っつきやすいかなと思って。
ちょうど『火垂るの墓』のように。
ただ率直な感想として、感動できなかった。
私は結構涙もろい方だと思うんだけど。。
むしろ、画面全体にあふれる優しい感じとは裏腹に、
なんとも言えない違和感、怖さが残った。
この違和感と怖さはどこから来るのだろう?
後で考えてわかったのは
①戦争の日常性
②戦争を被害者意識だけでとらえること
からくるということ。
①戦争の日常性
日常生活の中に戦争はいつの間にかやってきていつの間にか去っていた。
戦争は飢餓や空襲、身内の死、、という形で生活の中に入り込むが、どこか他人事のよう。
「空襲もう飽きた」とか。
近くの町で原爆が落とされても日常生活は続く。
生きなきゃいけないんだから当たり前といえば当たり前なのだが。
大変な状態であるはずの戦争がごく自然に日常生活の中に、人々の意識の中にあるのが怖い。
この感覚はこの映画の狙い通りだろう。
②戦争を被害者意識だけでとらえること
戦地に赴かなかった一般の人々にとって戦争は被害の記憶しかないかもしれないが、
こういう普通の人々が世論を形成し、独裁体制だったとはいえ、政府を支持したていた以上、
加害者であることも間違いない。(人々は新聞で敵国の民間人殺害記事を見て、まるでスポーツ記事でもみるように楽しんでいたのだ)
この映画はその視点が全く感じられない。
そこに違和感を感じる。
アメリカ人の日本の近代史の研究者ジョンWダワーが
『昭和ー戦争と平和の日本』という本で
「日本人は先の戦争を自然災害と思っている」と指摘していたが、
まさにそのように映画では戦争が描かれている。
そして戦後の教育もあって、多くの現代の人々も戦争を自然災害と思っているのだろう。
だから、「健気な主人公が戦争で多くを失うが、健気に笑顔で日常生活を続けていく。」姿に感動するのではないのだろうか?
戦争は自分たちの仲間を多くを失い、悲しみを多く生むから戦争はやめようというメッセージは伝わる。
ではなぜ、戦争を自然災害と思うことが怖いことなのか?
自然災害は防げないけれど、戦争は人為的なものだから防げるもの。
自然災害にあったように認識すると、仕方なかったとか運が悪かったとか考えて、
防ごうとしないことにつながるので、危険だし、怖いことだと思うのだ。
こういった日本人の戦争観を感じ、考えるよい機会にはなった。
先の戦争で日本とは立場の異なるフランスやアメリカで上映されてどのような反応があるのか気になるところ。