いつか晴れてほしい空2

ママが社会、教育、生き方について思うあれこれ。

地震のたびに原発が心配になる。

昨日も大きな地震があった。

地震があるたびに

原発は大丈夫だったかしら?

ってハラハラ心配する。

 

『~原発は運転停止中のため~』とニュースでいうのを聞いて

ああ、それなら大丈夫そうとほっとする。

 

停止中ならある程度安全の担保にはなる。

もちろんないにこしたことはないけど。

 

だけど稼働中なら?

 

いくら安全確認して大丈夫といわれても安心できない。

真の情報が私たちに与えられているとは限らないから。

福島の時のように。

 

本当に爆発大事故になる可能性だって十分にある。

福島の時以上の事故に。

 

東日本震災以降大きな地震は頻繁に起こっている。

事故のリスクにもかかわらず、原発再稼働するのはなぜ?

 

原発の再稼働は日本全体で自爆するようなものなのに。

 

こどもに残したくない負の遺産だ。

 

原発関連☆

 

itusora.hatenablog.com

 

なぜ、失敗を繰り返すのか?

何か失敗をしたとき、誰かのせいにして自分は被害者だと思っていると、

物事は一向に改善しないし、また同じ失敗を繰り返す。

 

なぜか?

 

その物事に対して、自分がコントロールすることを放棄してしまうから。

 

先の戦争について全体主義の下、

一般の人々が単に一部の悪いリーダーのせいで被害を受けたという視点でしか見ないと、

今後も同じ失敗を繰り返すことになる。

 

 

戦争は一部の悪いリーダーの力だけで生じたり、維持されたりするわけではない。

そのリーダーを大勢の一般の人々が支持してはじめて戦争が生じたり、維持されたりする。

 

-メディアなどを通して人々は戦争における人殺しに熱狂した。まるでスポーツ観戦のように。-

 

だから悪いリーダーが生まれないように監視することももちろん重要だが、

一般の人々が戦争に対して責任を負っていてコントロールする力を持っていることを自覚する必要がある。

 

 

自分の運命が誰かに握られていて、身をまかせるしかないなんて恐ろしい。

自分の運命は自分でできるだけコントロールしたいし、できると思ってる。

(たまに、心が弱くなると誰かのせいにしたくなるんだけど。楽だから。(^^;))

 

戦争も自分の運命に関わること。

だから自分事として考えよう。

 

☆関連記事☆

 

itusora.hatenablog.com

 

子連れ海外旅行方法と注意点、もう一度行きたい国

夏休みに海外旅行に行くならボチボチ計画たてはじめないと。

私はいつも気付くのが遅くて、ゴールデンウィーク明けに気付いて、行くのは8月後半とか遅いと10月くらいになってしまいます。

 

これまでいくつか国を旅したけれど、
もう一度行きたい感じがするのは、

(全て子連れだった)


トルコ、パラオ、モンゴルかな。


トルコはやっぱりイスタンブールの美しさ。夜のモスクに異国情緒あふれるあかりが灯る。帰国する飛行機から見おろした夜景が胸に焼きついている。

(今はテロが心配だからオススメはできないけど。)

 

 

Sultan Ahmed Mosque Istanbul Turkey fridge magnet 75x50mm スルタンアフメト・モスク-イスタンブール-トルコ-冷蔵庫のマグネット


パラオは観光地化されていない自然の素朴な美しさ。

海も陸も本格的な美しさがあるのに静か。まるで隠れ家のよう。

(だからあんまり人に勧めたくない…)

ジグソーパズル セブンティアイランド(パラオ) / 絵画 壁掛け のあゆわら


モンゴルはなにもないことの美しさ。

どこまでも続く草原と満点の星、必要なものだけがある。

時間の概念からの真の解放に癒された。

何にもしばられないことの贅沢といったらない。

 

大草原モンゴル (Suiko books)

番外編:イタリア フィレンツェ

映画「冷静と情熱」でフィレンツェの街の美しさにひかれ、一度は行きたいと思っていました。青白い夜明けの街を眺めながらホテルでとる朝食は最高でした。一度とは言わず、何度も行きたいです。

イタリア、フィレンツェ、夕方日没都市 キャンバスの 写真 ポスター 印刷 (90cmx60cm)

 

子どもと海外旅行を計画している方は参考になるかもしれません。

子どもと海外旅行の方法、持ち物、注意点

    ↓

http://ameblo.jp/fukuro383/

今のところ更新できるかわからないですが。。

 

ピンチは秘めた力がでるチャンス

窮地に陥ったとき
気がついたら行動していた。


以前から窮地を予測してこうしようとかああしようとか考えていたわけではない。


辛いとか疲れたとか感じる暇もなく、無我夢中で。

 

まぁ火事場の馬鹿力とでもいいましょうか。

 

中途半端なぬるま湯に浸かっているとき
そんな行動力はない。。


堂々巡りに考えるばかり。

 

窮地に陥らないと力がでないのかも。

 

窮地なんて嫌だと思う一方、
窮地に遭遇したらこっそりしめた!チャンス!って思うかも。

怒りを感じてもいいんだよ。ー「普通がいい」という病

『「普通がいい」という病』ー泉谷閑示
という本を読んだ。

 

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)

 

 

精神科医の先生が書いた本で、

はじめだけ読んで精神疾患の話かと思って中断していた本だ。


しばらくぶりに読みすすめてみると精神疾患の専門的な内容というよりは誰にでも通ずる哲学的な内容だった。

 

「怒り」に対する見方が変わった。
「怒り」は大切な感情だと知って腑に落ちると同時に気が楽になった。

 

時々ふとした瞬間に過去の出来事に対する「怒り」がこみあげてくることがある。

「怒り」の感情を抱いている自分に自己嫌悪を感じて、あわてて「怒り」にふたをする。

 

だけど「怒り」は感じてもいいんだ。


ふたをしたりせずに、ノートでもなんでもいいから「怒り」を吐き出しちゃえ。


「怒り」の向こうにありのままの自分の心があるから。

国と森友学園の交渉記録は全て破棄!

「近畿財務局と「森友学園」の交渉記録は、契約成立とともに「廃棄」したと佐川理財局長。」

 

あれ?これ最近も聞いたセリフ。

 

南スーダンの日報と同じだ。

 

記録も国有地も

お役人や議員のものではないから。

私たち国民のものだから。

彼らは単に私たちに委託されているだけ。

そもそもお役人にいたっては、頭がいいかもしれないけれど、私たち国民に選ばれて委託されているわけでもない。

勝手に捨てたり、タダ同然で売り払ったりしないでといいたい。

 

 また、国の言い分だと、

森友学園が汚染土を本当に入れ替えたかも、

入れ替え費用に8億円(費用を8億円と見積もったのは業者でなくて、国)かかったかも、

確認は不要なんだと。

 

しかも、森友学園は汚染土をまたグラウンドに戻すよう業者に指示。

(これは業者からの内部告発によってこの事実が明るみにでたようです。ひどいアンモニア臭がする土で、子どもの健康を軽視する学園を子を持つ親として許せなかったと。)

こんなことしてるんだから、汚染土の入れ替え費用に8億円かかってないよね。

 

子どもたちに「安倍首相バンザイ!」って言ってもらえるからって、

安倍昭恵夫人がこんな子どもの健康を軽視するような小学校の名誉校長を務めていたとは。

こっそり学園のホームページから夫人の名前を削除しても、(まるでトカゲの尻尾切りみたい!)これでもう関係ないとはいえない。

 

 

お役人が扱っているものは、

彼ら個人の所有物ではないので、

自分たちに都合のいいように扱うのではなく、

本来の所有者である私たち国民に変わって

土地のゆくえをしっかり確認すべきなのです。

 

そして、税金を払っている私たちは、彼らお役人や議員の働きをしっかりと確認して(監視して)いく必要があります。

 

そうしていくことで、健全な社会が機能し、国の私たちの財産がしっかり守られ、真の強い日本へと繋がるのです。

 

 

 

自分を苦しめていたのは何?

自分は誰からも自由でありたいと思っていた。
自分は誰からも自由だと思っていた。

 

でも苦しい。とても苦しい。

がんじがらめになっている気がする。
どうして?

 

やっと気付いた。

 

自分を誰よりもきつく縛っていたのは
ほかでもなく、自分自身。

 

いつのまにか
変化のストレス を回避して、
自分自身を型(合わない環境)にはめ込もうとしていた。

 

型にはめられるのが何よりも嫌いなはずなのに。

 

その日は気付けたから記念日♪

 

 

 

自由になるために必要なもの

誰かに命令されたくないし、
誰かに命令したくもない。 


ただ自分らしくそこにいたい。


そのために力が欲しい。

 

学歴とか社会的地位とか結婚とかで
その人の価値は決まらないと思う。


でも世間ではこれらの要素で人を判断する人も多いのも事実。

 

人にあれこれ言われない程度の学歴とか社会的地位とか結婚とかを鎧のように身に付けて
ようやく少し、自由になれる。

 

そんな鎧がなくても自由に生きられたらいいのに。

 

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1番♪贅沢な休みの過ごし方

ある日、初めて理由なく休みを取った。

たぶん心もからだも疲れてたから。

 

無意識のうちにせっかくの休みを有意義に使わなくちゃと、マッサージに行こうか、友だちに会おうか…とかあれこれ考えた。

 

で、気付いた。

1番贅沢な過ごし方は何の予定にもしばられることなく、

気の赴くままに過ごすことだと。

 

冬とは思えないぽかぽかしたやわらかな日差しの中、

ふかふかの芝生にすわって、

どうどうと幹の腕を伸ばした大きな木をぼうっと見上げていた。


木に守られている気がして安心して涙がこぼれそうになった。

悩んだときの魔法の言葉☆

いろいろな悩みに心をとらわれることがある。
その悩みも悩めば悩むほど答えに近づくってわけでもなくて、

ただのどうどうめぐりに陥ってることが多い。

 

どんどん心が重くなって、苦しい…

 

そんな時の☆魔法の言葉☆


「あっ、でも、それで(そんなことで)死んじゃうわけじゃないし。」


心の中でつぶやくと
あら不思議♪


その悩みはあっという間に小さく小さくなるのです。


そして貴重な時間を奪われていたことに気づけるのです。←ここが一番重要☆

 

ニーチェの言うように悩んだら寝ちゃうってのも方法です!↓

 

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ママの永遠のテーマ。仕事と家庭の割合はどうする?

仕事と家庭の割合をどうするべきか?

正解なんてない。

 

 人間の一日は24時間と決まってる。

だから仕事の時間が増えれば家庭の時間が減る。

その逆も然り。

どちらの時間も増やすなんて不可能。

 

それぞれの女性がそれぞれの価値観で

自分が満足する、幸せだと思う割合にラインをひけばよい。

 

ほかの誰に決められるものでもない。

ほかの誰かと比較するものでもない。


人生において価値をおくものや幸せに対する考え方、置かれている状況がみんな違うのだから。

 

現実的にはその選択が難しい状態にある女性も少なくないかもしれない。

 

女性に対する支援策などがさけばれているが、
一律に働け、休めというのではなく、

あくまで女性が主体的に人生、生活を選択できるような支援が必要だ。

 

こちらもどうぞ↓

 

 

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子どもが赤ちゃんだった頃を思い出して幸せな気分に包まれる。

久しぶりに生まれた頃の子供の写真が急に見たくなって見ていた。


子供と一緒に
こんなだったんだよー
可愛い☆
って話しながら。

 

そのうち昔のブログ(これとは別のブログです)を見たくなった。


自分の書いた昔の記事を見るのは
なんだか恥ずかしくて(誰にもばれないけど)
全然見てなかった。


でもその頃の子供のこと思い出したくて見てみた。

 

自分でもすっかり忘れてたちょっとした日々のエピソードもたくさんあった。


自分でいうのもなんだけど
読んでいるとその頃の気持ちがまざまざとよみがえってきて

 

幸せな気持ちに包まれた

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

二度とこない子供との大切な日々を失うことなく、
丁寧に過ごせたことの幸せ。

 

こうした日々の思い出は
何にもかえられない
大切な財産。

 

一時的に仕事で丁寧に向き合えなかったこともあった。

でも、その時期の頑張りが今のくいっぷちにつながっていることもあるから難しいところでもあるんだけど。

 

これからも家族でかけがえのない日々を丁寧に過ごしたいな。

 

 

子どもは私の希望

こどもは


私の人生に希望を与えてくれた
大切な存在

 

だから毎日ぎゅっとしながら伝えてる


「お母さんの大切な宝物だよ」

「みんなが大事に思ってるよ」
って。

 

こどもを思う気持ちは今も昔も一緒☆↓

 

itusora.hatenablog.com

 

 

itusora.hatenablog.com

 

 

itusora.hatenablog.com

 

マウンティング満載のうわさ話は疲れる。

結婚式や同窓会、 ママ会で
「誰々はこうゆう経過で今こうしてる。」
そして
「すごいね〜!」とか「そんなことになっちゃってるんだね」とか
あれこれ評価を下す
なんていう会話はよくあること。

 

個人的にはちょっと面倒くさいと思ってる。
(私にお披露目するような経歴もないからかもしれないけど)


そこにいない誰がどうしたとかそんなに興味ないし

(そうゆう生き方もあるんだね、みたいな参考にはなるかもしれないけれど)、

私のいないところで私がどうしたとか話されたくもない。

 

人生に気が抜けない気がして息がつまりそう。