いつか晴れてほしい空2

ママが社会、教育、生き方について思うあれこれ。

自分を苦しめていたのは何?

自分は誰からも自由でありたいと思っていた。
自分は誰からも自由だと思っていた。

 

でも苦しい。とても苦しい。

がんじがらめになっている気がする。
どうして?

 

やっと気付いた。

 

自分を誰よりもきつく縛っていたのは
ほかでもなく、自分自身。

 

いつのまにか
変化のストレス を回避して、
自分自身を型(合わない環境)にはめ込もうとしていた。

 

型にはめられるのが何よりも嫌いなはずなのに。

 

その日は気付けたから記念日♪

 

 

 

自由になるために必要なもの

誰かに命令されたくないし、
誰かに命令したくもない。 


ただ自分らしくそこにいたい。


そのために力が欲しい。

 

学歴とか社会的地位とか結婚とかで
その人の価値は決まらないと思う。


でも世間ではこれらの要素で人を判断する人も多いのも事実。

 

人にあれこれ言われない程度の学歴とか社会的地位とか結婚とかを鎧のように身に付けて
ようやく少し、自由になれる。

 

そんな鎧がなくても自由に生きられたらいいのに。

 

☆関連記事☆

 

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1番♪贅沢な休みの過ごし方

ある日、初めて理由なく休みを取った。

たぶん心もからだも疲れてたから。

 

無意識のうちにせっかくの休みを有意義に使わなくちゃと、マッサージに行こうか、友だちに会おうか…とかあれこれ考えた。

 

で、気付いた。

1番贅沢な過ごし方は何の予定にもしばられることなく、

気の赴くままに過ごすことだと。

 

冬とは思えないぽかぽかしたやわらかな日差しの中、

ふかふかの芝生にすわって、

どうどうと幹の腕を伸ばした大きな木をぼうっと見上げていた。


木に守られている気がして安心して涙がこぼれそうになった。

悩んだときの魔法の言葉☆

いろいろな悩みに心をとらわれることがある。
その悩みも悩めば悩むほど答えに近づくってわけでもなくて、

ただのどうどうめぐりに陥ってることが多い。

 

どんどん心が重くなって、苦しい…

 

そんな時の☆魔法の言葉☆


「あっ、でも、それで(そんなことで)死んじゃうわけじゃないし。」


心の中でつぶやくと
あら不思議♪


その悩みはあっという間に小さく小さくなるのです。


そして貴重な時間を奪われていたことに気づけるのです。←ここが一番重要☆

 

ニーチェの言うように悩んだら寝ちゃうってのも方法です!↓

 

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ママの永遠のテーマ。仕事と家庭の割合はどうする?

仕事と家庭の割合をどうするべきか?

正解なんてない。

 

 人間の一日は24時間と決まってる。

だから仕事の時間が増えれば家庭の時間が減る。

その逆も然り。

どちらの時間も増やすなんて不可能。

 

それぞれの女性がそれぞれの価値観で

自分が満足する、幸せだと思う割合にラインをひけばよい。

 

ほかの誰に決められるものでもない。

ほかの誰かと比較するものでもない。


人生において価値をおくものや幸せに対する考え方、置かれている状況がみんな違うのだから。

 

現実的にはその選択が難しい状態にある女性も少なくないかもしれない。

 

女性に対する支援策などがさけばれているが、
一律に働け、休めというのではなく、

あくまで女性が主体的に人生、生活を選択できるような支援が必要だ。

 

こちらもどうぞ↓

 

 

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子どもが赤ちゃんだった頃を思い出して幸せな気分に包まれる。

久しぶりに生まれた頃の子供の写真が急に見たくなって見ていた。


子供と一緒に
こんなだったんだよー
可愛い☆
って話しながら。

 

そのうち昔のブログ(これとは別のブログです)を見たくなった。


自分の書いた昔の記事を見るのは
なんだか恥ずかしくて(誰にもばれないけど)
全然見てなかった。


でもその頃の子供のこと思い出したくて見てみた。

 

自分でもすっかり忘れてたちょっとした日々のエピソードもたくさんあった。


自分でいうのもなんだけど
読んでいるとその頃の気持ちがまざまざとよみがえってきて

 

幸せな気持ちに包まれた

*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

二度とこない子供との大切な日々を失うことなく、
丁寧に過ごせたことの幸せ。

 

こうした日々の思い出は
何にもかえられない
大切な財産。

 

一時的に仕事で丁寧に向き合えなかったこともあった。

でも、その時期の頑張りが今のくいっぷちにつながっていることもあるから難しいところでもあるんだけど。

 

これからも家族でかけがえのない日々を丁寧に過ごしたいな。

 

 

子どもは私の希望

こどもは


私の人生に希望を与えてくれた
大切な存在

 

だから毎日ぎゅっとしながら伝えてる


「お母さんの大切な宝物だよ」

「みんなが大事に思ってるよ」
って。

 

こどもを思う気持ちは今も昔も一緒☆↓

 

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マウンティング満載のうわさ話は疲れる。

結婚式や同窓会、 ママ会で
「誰々はこうゆう経過で今こうしてる。」
そして
「すごいね〜!」とか「そんなことになっちゃってるんだね」とか
あれこれ評価を下す
なんていう会話はよくあること。

 

個人的にはちょっと面倒くさいと思ってる。
(私にお披露目するような経歴もないからかもしれないけど)


そこにいない誰がどうしたとかそんなに興味ないし

(そうゆう生き方もあるんだね、みたいな参考にはなるかもしれないけれど)、

私のいないところで私がどうしたとか話されたくもない。

 

人生に気が抜けない気がして息がつまりそう。

 

今いる「場」が合わなかったら、どうしたらいい?

行き詰まったと感じたとき
そのまま無理してその場にとどまるよりは
進める道を探して、
とりあえず進んでみるといい。


進んでみないとその道が自分にとって心地いいか悪いかはわからないし。

 

何より新しい人や仕事との出会いがあるから。

 

場を変えて、おもしろい生き方をしている人に会えて話が聞けたことがある。
これまでの場では出会えなかったような人。
ご本人は自身の人生を変わってると言っていたけれど、私には魅力的にみえた。

いろんなこと試してみて失敗したり成功したり。(結構失敗してるwでもめげてない)

『好きなようにやってる』と本当に楽しそうに話していた。


まぁお金があればこそなんだろうけど。

 

こうゆう人と出会えて話が聞けただけでも十分場を変えた意味はある。

 

 こちらもどうぞ。↓

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子どもが手紙をくれた。地球を守りたい。

 昔、こどもが手紙くれた。


急に書くっていいだして書いてくれた。

たどたどしい、覚えたての字で。

 

『おかあさん ちきゅうがきれいになったら
いつか いっしょに ぼうけん いこうね』

 

うん。

いっしょにちきゅうをまもっていこうね。

ぼうけんかならずいこうね。

 

わたしたちが守ってもらったように
こどものこどもも、そのこどもも
水と緑あふれる生命豊かな地球に守ってもらえるように。

 

「子どもがくれた言葉に癒される」というのもあります。こちらもどうぞ☆↓

 

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森友学園への国有地払い下げ。道徳での心が評価。愛国教育復活か!?

中国の愛国教育を『キモチワルイ』と感じたことのある人もいるでしょう。

実は日本でも愛国教育が復活しつつありますョ!

 

 国民の財産である国有地が森友学園激安価格で売り払われていましたが、この小学校は安倍首相の夫人、阿部昭恵さんが名誉校長を務めており、「日本人としての礼節を尊び、それに裏打ちされた愛国心と誇りを育て」ることを教育理念としているそうです。

この学校の学校法人が運営する幼稚園では園児に教育勅語を毎日暗唱させ、在日韓国人や中国人への差別発言をしているといいます。

そこに『礼節』はあるのでしょうか。

どんな『礼節』を教え込まれるものか恐ろしいものです。

安倍首相ら、国はこのような小学校や幼稚園を国(国民)の財産を使って不当に支援しているかもしれないのです。

彼らは着実に愛国教育への歩を進めています。

 

また、安倍政権の方針で道徳は評価を下す教科として格上げされます。

戦前の愛国教育への反省から、

心のあり方を評価することは禁じられてきたはずです。

 

でも、戦前のような、国による国民を管理する体制を目指している安倍政権は、心のあり方を評価することで、

人々の心もコントロールしようとしています。

(これは憲法の『内心の自由』に反しないのだろうか?心のあり方を評価されるんだったら実質自由はなくなるよね。彼らは現憲法なんて気にしないからいいのか。。)

 

このような状況では、よりよい社会や人生をめざして、

自分の考えや思いを自由に交換する真のディスカッションがますます難しくなります

 

評価がよくなるような言葉や表現が並べられるだけになるのです。

 

愛国教育に人々の幸せはあるのでしょうか?

 

内心の自由とは精神の自由のこと*

日本国憲法 第十九条

思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 

共謀罪』でも国による国民のコントロールが強められそうです↓

 

 

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ママが仕事をする意味は?

こどもが第一優先で仕事する場合、心理的にいろんな矛盾が生じる。

 

こどもの体調不良や行事参加に対応するために、責任の軽い仕事を選ぶことになる。

 

残念ながらそこにあまりやりがいはない。

 

こどもとの大事な時間を削ってまでする仕事の意味はなんだろう?

 

何のために仕事をするんだろう?

 

お金だけではない何か。

 

やりがいが軽くても、仕事が

社会に必要とされ、認められているという「自信」につながっているのは確か。

 

働くママへのエール!はこちらにもあります。↓

 

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今いる場所はあなたに合ってる?

 

「場」に自分自身を押し込めようとしていた。
合ってないのに。


だから苦しかった。

 

最初は合ってたのかもしれない。


自分も、「場」もだんだん変化していった。
互いにどんどん違う形になっていったんだな。
そして押し込められないほど合わなくなった。

 

合わなくなったから出る。

 

場はいろいろあるんだし。


自分に合う「場」は必ずある。

 

今いるところ、職場だったり、学校だったり、コミュニティだったり、

あなたに合ってる?

 

 

 

 

中国の民主化はあるのか?中国人の家に遊びに行って考えてみた。

中国では民主化運動はあまり広がらないかもなぁ。
知人の中国人の地方の家に遊びに行って感じた。


わずかな期間しか滞在していないし、中国の専門家でも何でもないので印象に過ぎないのだが。


中国では初日から手厚い歓迎を受け、連日どっぷりと友人のコミュニティ(親族や友人から成る)に浸かることになった。
こんな濃密な人間関係、見るのも体験するのもはじめて。

正直気疲れしてしまった。(^^;)
日本の地方にも濃密な人間関係はあるだろうが、こんなに濃くはないだろう。
友人を空港に車で送るといって何時間も走ったり。


お互いに助けあって、日常の様々なことがそのコミュニティの中で完結するようになっている。(だから、プレゼントやお土産を買うのが大変!何個買えばいいの⁈これでは爆買いもやむを得ない。知人も中国に帰るとき何個もシェーバーを買ったりして大変そうだった。)

コミュニティから外れたら生きてはいけないかもしれない。

特に、公共的基盤の整わない地方では。

コミュニティが生活の全てで、コミュニティの外には関心は向かない。

コミュニティの外にある政治も例外ではないだろう。

 

以前からあったギモン。
なぜ、中国の人は一党独裁体制でモンクを言わないのだろうか?

いつか国民側から民主化運動は起こるのだろうか?

 

その答えがうっすらわかったような気がした。

 

コミュニティに全力が注がれていて、政治には関心がない。そもそも政治に多くを期待していないし、経済的な不満がなければそれで十分。

(医療に関してはかなり不満はあるようだ。日本のように病院はたくさんない上に費用が高いので、抗生剤などの点滴も薬局で購入して自分で打っている状況もある。)


その様な状況であれば民主化の意識は育つことはないだろう。何らかの不満をきっかけに単発的に発生しても外に関心がないから広がらない。

 

都会では状況は異なり、コミュニティも緩やかになり、民主化の意識は育つかもしれないが、中国の大部分は地方だ。

 

そういう意味で中国は経済的不満をなくすことで今の体制を維持できるんだろうな。
ただし、格差が開きすぎるとどうなるかわからない。 

 

中国人は強くて大きい中国に誇りを持っていて、謙遜したり、変に卑下したりもしない。これは日本人とは違うところだなと感じた。戦後の教育のせいかな。。(彼らに謙遜文化がないわけではなくて、自分自身のことなど日本人同様に謙遜する。)

 

実は遊びに行く前、行き先が全く観光地ではなかったので、正直日本人という理由で反感を持たれたり、嫌がらせを受けたりしないか心配でした。子どもも一緒だし。(^^;)

でも、それはとりこし苦労で、全くそのような振る舞いも気配もありませんでした。私が知人だからということでもなさそうで、日本人に対する偏見も特になさそうでした。これも外への関心が薄いことの結果かもしれないけど。

 

 

 

 

危険!「共謀罪」で一般の人々が処罰されてしまう!

共謀罪について、政府の統一見解では

テロ組織や暴力団などに限らず、市民団体や労働組合、会社なども対象となるとのこと。

つまり「普通の団体」も処罰されてしまう!

 

安倍首相はこれまで「一般市民が対象となることがあり得ないよう検討している」と説明していたが、またいつものパターンで、反発が起きにくいようにパフォーマンスしていたにすぎない。わざと無能な金田勝法相を任命したり。議論が進まないように。

最初から「普通の団体」も処罰されるという結論ありきだったのでしょう。(一貫性がほしいもの。信用したくてもできない。)

 

国が圧倒的に『力』をもつ中で、ほとんど『力』を持ち得ない一般の人々はどのようにしたら意思表示ができるのだろう?

お金も権力もない一般の人にあるのは自身の体だけ。

そんな中でせめてもの意思表示として、体をはって、例えば座り込みなどをする行為すら「犯罪」とされてしまう。

 

国がいつだって正しい判断や行為がとれるとは限らない。

戦前のように国が暴走するかもしれない。

(すでにもう暴走している状態ともいえるが。)

共謀罪」で一般の人々はその暴走を止めるすべを失ってしまう。

止めようとすれば、捕まって犯罪者とされてしまうから。

戦前のように。

 

国がさらに国民の管理を強めている。

 

これでまた戦前の悲惨な日本に一歩近づいた。

 

今の日本は未来に進んでいるのではなく、過去に逆戻りしている。

退化していってる。

 

こどもには戦前のような日本を残したくはない。