いつか晴れてほしい空2

ママが社会、教育、生き方について思うあれこれ。

「理性的」といわれたい?「感情的」といわれたい?

「理性的」といわれるのと「感情的」といわれるのではどちらがいい?

と聞かれたら、「理性的」といわれたい人が多いのでは。

「理性的」な方が何か高等な感じがするからだろうか。

 

だけど、現実を見回してみよう。

物事は感情的判断で動いている。

身近なところでは何を買うか決めているのは「欲しい」という感情だ。

 

歴史も感情的判断で作られている。

政治も感情的判断で動いている。

社会も感情的判断で回っている。

 

最終的に人を動かす力を持つのは感情だ。

 

だから、未来を予測することなんてできないし、逆に歴史を何度も繰り返すともいえる。

(人の感情なんて変わりやすいから読めないし、一方で太古の昔から人の感情は変わらないともいえる)

 

もちろん理性は必要ないなんてことはない。

感情しかない世界だったら、崩壊してしまうだろう。

感情の暴走を止めるのは理性だから。

 

 

安倍首相夫人は証人喚問で正々堂々と証言を。

証人喚問で偽証罪に問われるかもしれないというリスクを背負いながら証言する一般人の籠池氏と

Facebookで何のリスクも負わずにコメントを述べる安倍首相夫人

 

どちらのいい分が信用できるだろうか?

発言の内容うんぬんの前にその発言の姿勢が信用に値するかが重要だ。

 

発言にリスクを負う者と負わない者。

全くアンフェアな戦いだ。

これが力ない者と力ある者の戦いの現実なのか。

 

安倍昭恵さんは反論があるなら正々堂々と証人喚問で証言したらいい。

自分の発言や行動に自信がないのだろうか?

 

力ある者ほど”正々堂々と”がなく、人の陰に隠れる。

力ない者には”正々堂々と”を強制するくせに。

全くもって戦前から変わらない体質。

 

戦前からのずるい権力について↓

itusora.hatenablog.com

森友学園関連は↓

 

itusora.hatenablog.com

 

 

 

 

 

子どもが奈良で仏像に目覚める。

 

最近子どもが”日本の歴史”に大ハマり。

まぁ私たち誰もが通る道なんだが。

好きな時代は飛鳥時代だと。

安土桃山時代とか鎌倉時代とかじゃないんだ?

(私は平安時代かな。風雅な世界に憧れる♪)

しょっちゅう

蘇我入鹿とか今話題の聖徳太子とか蘇我馬子とか言ってる。

 

とゆうわけで、奈良に社会科見学に行ってきた。今回は歴史編。

 

私は奈良は以前から行きたかった。

三十過ぎたら仏像とか静かに観てみたいなと感じるようになって。(あっでも仏像マニアではないので全く詳しくない)

仏像って寺などあるべき場所にある方がずっと生き生きしている。博物館などで集められて展示してあるのは確かに見やすいんだけど、その像の背景から切り離されていて生気を感じない。だから、実際に見てみたいのだ。

 

でも、日数が必要なので気軽に行けないのと、

寺や仏像に興味をもてない子どもとは行けないのとで諦めていた。

 

ところが、ここへきて子どもが飛鳥時代が大好き☆チャーンス!早速奈良へ!

 

飛鳥寺石舞台古墳はどうしても行きたいと言うので飛鳥駅からサイクリングでまわった。こどもはいつの間にか憶えてたようで各ポイントにくるとここは誰の墓だとか解説してくれる。(ガイドか⁉︎好きなことはホントにすぐやるしおぼえるよね〜)そして、実物をみていたく感動している。「飛鳥に来てよかった‼︎」と。

飛鳥寺の仏様は1400年前からいるだけあって静かながら貫禄があった。今は赤茶色だけど、当時は全身金ピカ目だけ青かったというから、それはすごい神々しいだろうなと感じた。

 

飛鳥時代仏教伝来ということもあって、こどもも仏像にも興味があるみたい。よかった!古墳とか遺跡だけじゃないのね。

 

仏像のガチャポン三回もやらされた。

結構リアルで古びた雰囲気もでているから重厚感あり。私もつい眺めちゃう感じ。 

 

こどもは部屋に戻るといろんな仏像の絵を描いている。

仏像は『かっこいい!』そうだ。

 

これからは一緒にお寺&仏像巡りできそうだね〜☆

 

ハードカバーじゃないから軽いし、サイズも小さいのでちょっとしたお出かけや旅のお供に便利な角川の歴史マンガ↓

 

 

 

 

 

 

籠池氏証人喚問、頑張って〜

籠池氏の証人喚問がめちゃおもしろい!

 

与党が質問しているときは、

質問があまりに的外れ(というか的を外したい♪んだろうけど)でイライラしてきていた。

(しかも質問してる西田議員、的外れなのに感情的で力んでいるから聞いていて疲れる。)

この感じ、デジャブだ。石原氏に百条委員会で与党が質問しているときとおんなじだ。グレーな立場の人がグレーな立場の人に質問するから、全く鋭さなし。時間つぶし状態。

 

'特別な力'の有無に関わる部分を聞こうとしない。

あーそこじゃないよ!!って。

痒いところに手が届かない感じ。

 

むしろ籠池氏が本質はそこじゃないといって、軌道を戻そうとしたり、本質に関わる発言をしたりして、スッキリしたり。(どこまで真実かわからないけれど、籠池氏がウソつくメリットはあるのだろうか?)

 

だけど、野党の質問になって、的を得た質問が次々に出て、(しかも冷静)

断然!おもしろくなってきた!

今までのイライラはどこへやら。

 

しかも、籠池氏は悪役なのに、今や強大な権力に立ち向かう悪役だから、つい応援してしまう自分がいる。

 

ウソをつくのが本性だとしても、籠池氏には今後も権力に屈してウソをつくようなことはないように頑張って欲しい。

 

 

特攻隊を美化して正当化するのは哀悼することとは違う。

戦争の事実を忘れないためにも、

子どもを連れて

原爆ドームをはじめ、昭和館や平和記念館に行く。イベントの写真パネルを見に行ったりもする。

知覧にも行こうか検討したことがある。

でも、知覧で特攻隊をどのように伝えようとしているのかわからず、子どもに真に大切なことがうまく伝わるか不安が残り、断念した。

 

近年のドラマや映画、本では特攻隊が美化されているものも多い。

 

特攻隊での死を美化したり、意味のあるものと思いたいという気持ちは人間の感情からして理解できるが、

フランスで自爆テロのことをKAMIKAZEというように現実として客観的に見て、特攻隊の行為は自爆テロと重なる部分があると思う。

 

もちろん特攻隊は軍人を対象としているが、

テロは民間人を対象にしている点で大きく違う。

テロは全く肯定できない犯罪だが、イスラム教徒で自爆テロを行っている者も自らの死を美しく意味があると信じている点は特攻隊と変わりない。

また、

力ある者が神に自分の命を差し出すことはしないのに、

力ない者に神に命を差し出すよう強制、洗脳している点も同じ。

 

特攻で戦死された方への哀悼の気持ちはあるし、

特攻隊を志願した人々を非難する気持ちも全くない。

あのような教育勅語の強制下では若く純粋であればあるほど洗脳されやすいのは無理もなく、むしろ戦前の体制の犠牲者といえるから。

 

しかし、特攻を美化して正当化することは同じ過ちを犯しかねないという点で非常にキケンだ。

 哀悼と美化・正当化は分けて考えないと

 

過ちを繰り返さないために特攻隊の存在は子どもに伝えていくべきだけれど、伝え方は慎重さが必要だ。

感動ばかりを強調した結果、「特攻隊はカッコイイ!」なんていう認識を与えてしまったり、「特攻のような命を軽んじる作戦は絶対にダメだよね」という視点が抜け落ちてしまったりする可能性がある。

 

『自分の命であれ、他人の命であれ、何よりも大事』ーこれをしっかりと伝えていかなければならない。

 

 

 

 

こどもに非寛容な社会-少子高齢化から考える。

外国人から見た日本人についての記録では、少なくとも江戸時代から戦前までは日本では子供が非常に大事にされていたようだ。内でも外でも。神聖な存在として。町中に子供の笑い声があふれていたと。当時の外国人はその様子に楽園をみたと感激している。(外国人から見た日本史より)

 

外国人がみた日本史 (ベスト新書)

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現代の日本ではどうだろう?
高齢化した大人が子供の声が大きくてうるさいからと保育園や公園の建設を堂々と拒否する、

そしてそれが何の疑問もなくまかり通る社会。

本当に声が大きいのは誰でしょう?(答えは文中にあり)
明らかに子供に非寛容な社会となっている。

 

 社会で子供を「大事にする」というあの美しき日本の文化はなぜ失われ、

真逆の「大事にしない」という方向に進み続けているのか?

 

*戦後の民主化で社会に平等や競争がもたらされたから?
*家長制度が崩れ、核家族化したから?
少子高齢化のせい?

 

どれも関係しているかもしれないが、以前に比べて非寛容が進んでいることを考えると、少子高齢化の進行が最も影響を与えているのではないかと思う。


少子高齢化により、民主主義の弱点が強調されてしまう。

 

少数派有権者でもないこどもの声はあまりに小さくて政治には届かない

一方、多数派有権者である大人の声はとても大きくて政治にしっかりと届く。

 

つまりこどもたちは未来を担う存在でありながら、選挙権をもたないだけでなく、少数派だ。

高齢者を主とした有権者は多数派で未来に責任をもたずとも、未来を決定する力をもつ。

選ばれる議員も高齢化し、責任は持たないが、力は振りかざす者(わかりやすい例では石原さんのような方)ばかり。類は友を呼ぶ?


本来、責任と力は一致するもの。だから信頼が生まれる。


高齢化した大人による、子供を含めた若者たちへの想像力が欠けてしまっている今、高齢化した議員ばかりに任せておけない。1つの案として若者議員枠または子育て世代枠を設け、確実に若者や子育て世代の声を届けるというものはどうだろうか?若者の投票率もupするかも!?(自然に任せておくと選挙費用が高く、若者には立候補が難しく、候補者となっても高齢化した有権者はやっぱり高齢化した議員を選ぶという結果になる。)
ただ、これを決めるのは高齢化した議員たちだから自分で自分の飯のタネを失うような決定はしないだろうな。。どうしたものか。

 

子供に対する非寛容は少子高齢化をさらに進行させる一因となってもいる。

 

少子高齢化は高齢者を支える若者たちが少ないという物理的な側面がよく強調されるが、
国力である若者の声が大事にされず、届かないということがもっと問題だ。


単に労働力としての若者が減るだけでなく、この国の未来を真剣に考える存在としての若者が減るということが国としての弱体化を招く。

 

少子高齢化という危機はリーマンショックのように肌で感じられるものではないが、

じわじわと確実に国力を低下させている。

 

この流れを変える希望となるのは数が確保された若者議員だ。

それとも移民に希望を託すか?同じく少子高齢化したドイツのように。

 

この本を読んで考えたことを記事にしました。↓

 

 

 

「オモテナシ」という言葉がどうも胡散臭くて好きになれない。

「オモテナシ」という言葉は嫌い。
理由は二つ。


一つは「オモテナシ」という言葉で労働力を搾取しているから。
もう一つは相手のためといいながら、最終的には自分の利益が目的だから。

 

経営者が自分の責任で今後の自分の利益のために自身が「オモテナシ」をするのは問題ない。

 

経営者が従業員に対して、給料を上げることもせずに「オモテナシ」を強制するのは、「オモテナシ」という名の労働力の搾取だ。

 

おもてなしはやるかやらないかは完全に自由裁量で、やらなかったからとどんなデメリットも受けるべきではない。

母であり妻であればそれで満足?自分の人生を生きていない。

夫と子どもをサポートすることを言い訳に
自分の人生に対する責任を放棄している。

 

サポートしてるというと良妻賢母みたいでいっけん聞こえがいい。(しかも実際は良妻賢母とは程遠いサポートしかしてないω)


でも、自分が自分の人生のために努力していないのは確か。


趣味でも習い事でも仕事でもボランティアでも勉強でもなんでもいいけれど、努力していない。

 

誰もこのことをとがめたりしないし、
せっぱつまった何かもないし、
ラクだけど何か足りない。


時々、心の中に虚しさが広がる。

 

だからといって、夫と子どもへのサポートに支障が出ないように、限られた時間でと考えると、
結局「何ができるのか?何も思いつかない」
という現実にたどり着いてしまう。

 

二つのことに全力を注ぐことはまず無理なので、サポートも自分の努力も中途半端になるのでは?という思いもある。

 

何があるかな…

 

 

 

 

残業月最大100時間合意。やっぱり人の命は仕事より軽いのか?

電通の過労死事件で被害者の母親が

「命より大事な仕事なんてない」

といったが正にその通り。

 

なんで過労死ライン(労働時間月80時間を超えると過労死のリスクが高まる)を超える

残業月最大100時間OK!がまかり通るのだろう?

その仕事、命を削ってまでするほど大事?

 

まるで

「仕事(金)より大事な命なんてない」

といっているようなものだ。

 

「KAROSHI」という言葉は「KAMIKAZE」(欧米では自爆テロを指すそうだ)と同様に日本発の英単語だ。

「過労死」は欧米にはない異常な、日本独特の状況で適当な訳がなかったため、日本語がそのまま使われている。

あんまり褒められたもんではないね。

 

日本人は働き過ぎだってことだ。

悪い意味で。

 

私たちが過剰な労働を求められるのは

私たちが過剰な便利さを求めていることも

原因の一つとしてあるだろう。

 

だから残業月最大100時間OKなんていってないで、

むしろもっと経済の回転を緩くしてもいいんじゃないの?

人口が減っているんだから経済規模を縮小したりさ。

それで多少不便になったとしても。

その便利さ本当に必要?

結局自分たちで首をしめているだけだ。

 

ヨーロッパの国々を見てみればわかる。

例えばお店は日曜日は休み、夜中も休み。

人命に関わるような仕事でない限り、お休み。

過剰なオモテナシもなし。

それが普通。

それでうまく回ってるじゃない。

 

☆過労死関連☆

自分で自分の身を守ることも大事!↓

 

itusora.hatenablog.com

 

 

言葉による思考停止


言葉の力はおそろしい。


ある物事について言葉で表現された時、人々は表現されたことに安堵し、理解し得たと錯覚し、その物事についての思考を停止してしまう。
その言葉が核心を得ていない、本質を表していないとしても。


例えば、「戦争は悪い」という言葉。
この言葉に思考は停止し、もちろん議論されることもなく、戦争について深く掘り下げられることがない。

だから、心にも残らなくなっている。


この「戦争は悪い」という言葉は思考停止という魔力はもつが、残念ながら戦争そのものの抑止力を持っているとは思えない。

思考停止させてしまうとしても、その言葉が対象となる物事の目的を達成するならまだしも。


この記事はこの本↓を読んで感じたことです。読みやすいし、おもしろかった。

丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ(2) (朝日新書)

丘の上のバカ ぼくらの民主主義なんだぜ(2) (朝日新書)


ホワイトデー前のデパ地下

いつものように夕飯の足しにお総菜でもと思ってデパ地下にいったら

普段見ない黒い服の人々がごった返している。

 

仕事帰りの男性だ。

珍しい。

そうか!明日はホワイトデーか。

 

みなスウィーツ売り場に群がってる。

なんか・・おもしろい。

ほほえましいというか。

 

バレンタインの時、テレビで最近は義理チョコは下火だとか女性同士で交換だとかいってたけれど、

お返しを買い求めているのを見ると、

なぁんだ、意外とちゃんとみんな義理チョコもらってんじゃない。

あっもしかして義理じゃなくて本命だったかも!?

森友学園問題、政治家の関与はあったのか?真相解明が不可欠。

森友学園の問題、籠池ファミリーのキャラが濃すぎて、学校申請の取り下げだとか、補助金詐欺だとかに話題が集中してしまっている。

もちろん、このような人たち、このような学校は問題あり過ぎて野放しにしておくべきではないのはたしかなんだけど、もっと重要なこと追求すべきことがあるよね?と感じる。

 

つまり、格安売却の一連の流れに特別な力が働いたのではないか?という点。

 

この部分をしっかりと明らかにしていかないと、トカゲのしっぽきりとおんなじで、第二第三の籠池登場を許すことになる。

 

現時点では安倍首相らが関わっている可能性も否定できないわけだから、政権への影響を考えて明らかになんてしたくないだろう。

学校の申請取り下げと土地の買い戻しするから、これでいいよね?と、とにかく早い幕引きを図ろうとしているようにみえる。

 

でも、ここでやっぱりうやむやにしてはいけない。

政権に取り入る人が破格の待遇を受け、

政権に反対する人が不利益を被る社会はもう民主制とはいえないよね。

これを許していくと独裁制の始まりだ。

 

籠池らのキャラに惑わされず、政治家の関与がなかったかしっかりと注視していく必要がある。

 

野党だけでなく政権与党である自民党の船田元衆院議員からも真相解明を求める声が上がっていることは評価すべきことだと思う。

 

森友関連↓

 

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北朝鮮は沖縄の米軍基地を狙っている⁉︎

3月6日に北朝鮮がミサイルを発射した。このとき北朝鮮は「日本にある米軍基地を攻撃するミサイル発射訓練に成功」と言った。

 

それってつまり沖縄のこと?

沖縄に日本にある米軍基地の実に75%が集中している。

 

私たちは沖縄、日本の防衛のために沖縄に基地があると理解している。沖縄に基地がなければ沖縄が狙われてしまうと。

 

でも、この北朝鮮の発言を聞くと、基地があるから狙われてしまうようだ。

 

真っ向から対立する論理。

 

日本がいくら基地があるから狙われないと言っても、

敵対する国が基地があるから狙うというのであれば、

基地があるところが犠牲になる。

 

先の大戦でも、軍事工場がある地域が狙われ、大きな被害を受けた。

 

沖縄は基地があることで守られるのか?狙われるのか?

 

☆沖縄基地関連☆↓

 

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トランプ政権はなぜ支持されるか?『ポピュリズムとは何か?』から考える

今、トランプ政権を始め、民主化先進国と言える欧米でポピュリズムが広がりを見せている。

 

トランプ氏が支持されているのは、

格差拡大のせいなんだろうけど、

わかるようでわからない。

 

差別発言をしたり、入国禁止令を出したり、とても民主的とは言えない。

 

アメリカの民主主義や自由は失われてしまうの?

 

この状況を理解するにはポピュリズムの理解が必要だ。

そもそもポピュリズムってなんぞや?

これもわかっているようで、

わからない。

 

ということで、

ポピュリズムとは何か?』ー水島治郎

という本を手にとった。

 

ポピュリズムの持つその排外的な姿勢から、私はポピュリズムは民主主義の敵だと思っていた。

しかし、ポピュリズムの特徴を知ると、むしろ民主的だと感じた。

 

ポピュリズムの4つの特徴

①「普通の人々」には「健全な人間理解」が備わっており、腐敗したエリート層の発想に勝る。その「健全な人間理解」を「ストレートに政治に反映させ」る。この「普通の人々」は一体的で、民意や特徴が同質であることを前提としているため、排外的な発想につながる。

②政治、経済、社会、文化において一握りの人々が支配を固めていることを前提とし、人民の「健全な意思」を無視する「腐敗したエリート」の支配を批判する。

③既成の政治に「民衆の声」をぶつけるカリスマリーダーがいる。

④具体的なイディオロギーがない。

核心部分は①②で

”政府を人民の手に戻す。なぜなら、政府はまさにその「普通の人々」に由来する存在だから。”

というのがポピュリズムだ。

 

 これを見るとポピュリズムに共感すら覚える。

 

ポピュリズムの効果

ポピュリズムの出現で

危機感を感じた既成政治の改革を促したり、

人々が政治に関心を持つようになったり

よい効果もあるようだ。

 

 

ポピュリズムの起源は?

ポピュリズムの起源は19世紀末のアメリカにあるという。格差拡大を背景に人民に依拠してエリート支配を批判する運動が起こった。これがポピュリズムと呼ばれるようになった。そもそもは人民の「解放」とか「救済」志向のあるもの。

 

 

ただどうしても腑に落ちないのがなぜポピュリズムが移民排斥とつながるのか?という点。

 

2つのポピュリズム

実は現代のポピュリズムは2つのタイプがあるという。

①労働者や貧困者がエリートを批判すべき特権層とみなし、圧倒的な格差社会で政治に適正な分配を求めるもの。

②再分配で保護された生活保護受給者や難民、移民を批判すべき特権層とみなし、排除しよう、引きずり下ろそうとするもの。

欧米のポピュリズムはこの②に当たる。

格差拡大を背景としてトランプ政権による入国規制は支持(49%)が不支持(41%)を上まっているというのもうなづける。

 

日本でも格差拡大を背景にここ数年、在日の人に対するヘイトスピーチやより弱い立場にある沖縄や福島の人に対するイジメが増えている。人は自分が絶対的優位にいて、自分の立場が脅かされないときには悪口を言ったり、排除しようとしたりしないもの。日本にもポピュリズムは広がりつつあるのかもしれない。

トランプ氏の登場やヨーロッパでのポピュリズムの広がりは人ごとではないと感じた。

 

 トランプ大統領の米入国規制への反発について日本の場合はどうか?を考えてみた。

  ↓

 

itusora.hatenablog.com

 

 

行きたくないランチ会に行くのは時間の無駄。

人生は有限

自分の時間は自分でコントロールしていないと
いつのまにか、だだもれになってしまう。

 

時間をコントロールするとはどういうことか?

自分の価値観の中で
何にどれだけのわりあいで
時間を費すか決めること。

 

充実しているか?

幸せと感じているか?
が大切☆


そうゆう時間が私の時間といえる。

(一人で過ごすとゆうことではなく、
誰かと過ごす時間だったり
仕事の時間だったり、
育児の時間だったり…なんでも)

 

自分の判断もないままに"みんながやるから"
という理由のみで費している時間ほど無駄なものはない。(例えば、行きたくもないランチ会に行くとか!)

 

自分の時間を自分でコントロールしないで生きたら
それって誰の人生?
と感じるので、

目下の目標は
"私の時間"を増やし、コントロールすることかな。