特攻隊を美化して正当化するのは哀悼することとは違う。
戦争の事実を忘れないためにも、
子どもを連れて
原爆ドームをはじめ、昭和館や平和記念館に行く。イベントの写真パネルを見に行ったりもする。
知覧にも行こうか検討したことがある。
でも、知覧で特攻隊をどのように伝えようとしているのかわからず、子どもに真に大切なことがうまく伝わるか不安が残り、断念した。
近年のドラマや映画、本では特攻隊が美化されているものも多い。
特攻隊での死を美化したり、意味のあるものと思いたいという気持ちは人間の感情からして理解できるが、
フランスで自爆テロのことをKAMIKAZEというように現実として客観的に見て、特攻隊の行為は自爆テロと重なる部分があると思う。
もちろん特攻隊は軍人を対象としているが、
テロは民間人を対象にしている点で大きく違う。
テロは全く肯定できない犯罪だが、イスラム教徒で自爆テロを行っている者も自らの死を美しく意味があると信じている点は特攻隊と変わりない。
また、
力ある者が神に自分の命を差し出すことはしないのに、
力ない者に神に命を差し出すよう強制、洗脳している点も同じ。
特攻で戦死された方への哀悼の気持ちはあるし、
特攻隊を志願した人々を非難する気持ちも全くない。
あのような教育勅語の強制下では若く純粋であればあるほど洗脳されやすいのは無理もなく、むしろ戦前の体制の犠牲者といえるから。
しかし、特攻を美化して正当化することは同じ過ちを犯しかねないという点で非常にキケンだ。
哀悼と美化・正当化は分けて考えないと。
過ちを繰り返さないために特攻隊の存在は子どもに伝えていくべきだけれど、伝え方は慎重さが必要だ。
感動ばかりを強調した結果、「特攻隊はカッコイイ!」なんていう認識を与えてしまったり、「特攻のような命を軽んじる作戦は絶対にダメだよね」という視点が抜け落ちてしまったりする可能性がある。
『自分の命であれ、他人の命であれ、何よりも大事』ーこれをしっかりと伝えていかなければならない。