廊下に立たせたり、怒鳴ったりするのは体罰じゃない?
運動会の練習中に飲水を我慢させ、
生徒を熱中症にさせた教師の記事を書いたが、その教師は着任一年で離任した。
心底安心した。
なにせ、授業参観ではいたって丁寧な言葉使いと優しい姿だったけれど、
普段は別人のようだったそうで。
教室がざわついていると、
低学年の生徒に向かって
「話してんじゃねーよ。出てけよ!」(注:教師は40代女性)
といったり、
配膳中に立ち歩いていた生徒に
「廊下で立ってろ。」
といって立たせ、その生徒が教室に入ろうとしたら
「普通の顔して入ってんじゃねーよ!」
と追い出したり。
教師がこの言葉使いでは子どももマネしてしまうよ。そして驚きなのが廊下に立たせること。私は自分が小学生の時廊下に立たせるのなど目にしたことはないし、耳にしたこともなかった。漫画の世界だけと思っていた。今も昔も大して教室の雰囲気なんて変わっていない。
廊下に立たせるっていうのは時代に逆行している気がするけれど、他の教師も教室の前方に立たせたりしている。
立たせるのはスタンダードな指導なのだろうか?私には体罰にみえるんだが。
しかも立たせている理由が凶悪な何かではない。おしゃべりしていたとか立ち歩いていたとか。罪に対する罰が重すぎ。釣り合ってない。
同じクラスを、この教師の前はもっと若い教師が担当していた。教室がざわついていたが、その若い教師は声を荒げることなく、ただ黙って生徒の方を向き、静かになるのを待っていた。さほど待つことなく、だんだんざわつきはなくなった。
力で押さえつけずとも、低学年のこどもでも自分で自分を律することができるのだと知って感心した。
もちろんこの教師は生徒に大人気。
子供からも親からも信頼されていた。
自分の怒りのままに、「指導」という名の「体罰」を子どもに課してはならない。
そして、低学年のこどもでも、ちゃんとわかっていて、そんなことをする教師のことは信頼しない。
オマケ
『給食の配膳中におしゃべりすると教室の前に立たせる』これには疑問が2点ある。
・配膳中におしゃべりをしてはいけない理由は?私の子供の頃は給食の時間はわいわい楽しく準備、食事したものだ。こどもの萎縮につながりはしないか?配膳中にしいんと静かに黙って待つなんて大人だって黙る理由がなければ無理で、おしゃべりするだろう。
・繰り返しになるが、立たせることは体罰ではないのか?立たせるほど重罪なのか?
まるで軍隊のような教育に恐怖をおぼえる。。