いつか晴れてほしい空2

ママが社会、教育、生き方について思うあれこれ。

テレビに洗脳されていないか?

民放テレビは自分たちの考える「正しいこと」を一方的に流す。

作り手がいる以上、完全な中立などあるはずもないが、

そのことに無自覚なまま、

作り手は『さあこれが「正しいこと」ですよ』と流し、

視聴者も『テレビがいっているんだから「正しいこと」にちがいない』と受け入れる。

まるで洗脳だ。

洗脳されてしまうことを考えると、『ただより高いものはない』とはこのことだと思う。

 

しかも驚いたことに、NHKも含めて、論調が同じ。

中立は不可能であっても、局によって多様な論調があってもいいのに。

タイミング合わせたんですか?というぐらい横並びでおんなじニュースが流れている。

どのチャンネル見たって同じだから一つでいいのではと思う。

 

最も疑問に感じたのは、本人にとってあまり掘り起こされたくない話題だろうけれど、ベッキーの不倫の話題の取り扱い方。

NHKも含めてすべてのチャンネルでこのニュースをトップで取り扱っていた。

それからほぼ毎朝この話題は登場した。

 

通勤の支度で忙しい朝に必要な話題なのか??

 

トップニュースで扱うような重大さも緊急性もないし、

私たちの生活に直接関係ないことではないか。

あるとしたら視聴率を稼げそうな話題性だけ。(個人的には不倫は許し難い行為だけれども、ベッキーが女性だからこんなにたたかれているのだろうと感じて、このニュースを視ると不愉快な気分になったが。現に渡辺謙の不倫はほとんどたたかれていない。この差はなんだ?)

ベッキーの不倫よりも世界を含めてもっと知らせるべき重要なニュースはたくさんあるのに。

 

このような状況で日本のテレビだけを視ていても多様な情報は得られないし、

危機に際してより正確な情報を手に入れられるか心配になったので、

海外のニュース番組などもいくつか視ることにした。

有料だけれど、一方的に洗脳されるよりはずっといい。

 

 

 

 

多数派は正しい?

少数派を「正義」をふりかざしてたたく人がいるけれど、
そこには「正義」を隠れ蓑にして、多数派に付随する「強さ」を利用して優越感に浸りたいというズルイ心しかない。

 

そもそも多数派は「正しく」て、少数派は「間違っている」のだろうか?

 

民主主義のデメリットは

 

多数派が「正義」と勘違いすること。

多数派が「強い」のは確か。

 

「強い」者が「正義」を定義する現実を見れば、(イラク戦争でアメリカがイラクを証拠もなしに一方的に悪と決めつけて、攻撃したことなどを考えてみて)

多数派は「強い」ので「正義」だということはあるかもしれない。

 

でも、真の意味では「正義」とはいえない。

 

「正義」なんて絶対的なものはない。

立場が違えば真逆にもなるのだから。

だからって「正義」について考えなくてもいいわけではない。

 

常にその時その状況、立場での「正義」を

人数が多いとか他の人がどうかなどに惑わされる事なく、

自分の頭で考える習慣が大事。

 

難しいのはその「正義」が自分の頭で考えたつもりでも、

たんなるマスコミの刷り込みかもしれないってこともあること。ここ注意。

 

 

 

 

 

私はいつまでも母親のこども♪

実家で母親と話していたら
なんと
高校の制服や部活の道具、学園祭のTシャツまで残っていると言ってタンスの奥から出してきた。

すでにくたびれきっている。


母親は
「これどうしたらいいの?」
とか言うけど、
今知ったし。
高校卒業して何十年も知らなかった。
そもそも残しておいてなんてなんて言ってないんだけどな?(-_-)

 

さすがに着れないほどくたびれているから、
(というか制服なんて絶対に着る機会はない。)
捨てていいと思う。


でも、せっかくとっておいてくれたのに、
むげに『全部捨てていいよ』とも言えず、
「このTシャツは捨てていいよ」
といった。

 

そうしたら、母親は非常に名残惜しそうにしている。
「洗えばなんとかなるね・・」
って?
『どうするの?』と言いつつ捨てたくないのは母親の方じゃない?!

 

あーでも今ならわかる、その気持ち。
私も子供の赤ちゃんの頃の服とか思い出が染み付いていて、捨てるのに勇気がいったから。

 

母親にとっては私はいつまでもこどもなんだよね。
ま、私にとってもいつまでも親は親だけど。

先日路上で配っていた『共謀罪反対』のチラシを受け取ってみた。

民進党旧民主党)が崩壊しつつある。

 

民主党政権交代したことの一番のデメリットは

野党が失われてしまったこと。

 

野党が野党としての存在感や

与党に対する一定の歯止めを

完全に失ってしまった。

 

与党の法案ややり方に不満を持つ人々の思いは

受け止められることなく、漂うばかり。

 

この国ではマイノリティーであることは

非常に弱い立場に置かれることだ。

容赦ない攻撃を受ける。

 

だから、自分の政治的思想や意見を自信を持って表に出すことができない。

何をされるかわからない、怖いという感覚。

特に司法や行政が公正に機能せず、権力になびく国では。

ましてやこれからは政権と異なる思想を持ち、活動していたら

治安維持法(この法律も元々は一般の人や社会運動家などは取り締まらないといって成立させた経緯がある。しかし結局、しかし結局2000人以上が拷問死。戦争反対の声も上げられなくなった。)とそっくりといわれる『共謀罪』で監視されたり、逮捕されてしまうかもしれない。

 

でも、自分と同じ考えの人々の活動は応援したいと思う。

 

先日路上で配っていた『共謀罪反対』のチラシを受け取ってみた。

ただ受け取るだけ。

だけど、ティッシュを受け取るのと違って、勇気が必要なのだ。

応援の気持ちを表したくて受け取った。

 

議員さんにお話を聞いたとき、街頭でなかなかチラシを受け取ってもらえないと嘆いていらした。受け取ってもらうことが、力になるともおっしゃっていた。

 

まずは一歩。

 

オマケ

ちょっと疑問。友人と政治の話をして、根本的な部分で相違があった場合、友人関係は維持できるのだろうか?アメリカなどは日本と比べて政治思想をはっきりと表明するようだが、例えば、トランプ派・反トランプ派で友人関係を維持できているのだろうか?

 

共謀罪について↓

 

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 権力になびかないアメリカ↓

 

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 マイノリティーに対するいじめ↓

 

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横浜の緑化フェアがステキ☆

今横浜みなとみらい地区中心に「全国都市緑化よこはまフェア」が開催されている。

 

はじめてだったので

単に一部がお花畑になっているだけなのかなと思っていたら、

あちこちがお花畑になっているし、

今の季節、桜とのコラボでさらに華やかに。

ぱあっと晴れやかな気分になる。

 

また、お庭のコンクール作品もたくさんあった。これもはじめてで、その庭一つ一つの世界観に浸るのが楽しい。子どもも楽しめそう。

 

効率ばかりが重視されたメタル的で無味乾燥な都市ではなく、

こんな風に緑あふれる都市が未来都市の姿だと思う。

緑あふれる都市こそ、都市としての余裕やゆとりを感じる。

 

桜の花びらの冒険

春の優しい風に吹かれて

川沿いの桜並木から花びらが舞う、舞う。

 

太陽の光と川の水面に反射した光に

きらきら照らされながら、散る、散る。

 

川のみなもに舞い降りた花びらは

川の流れでひとすじの桃色の道となる。

 

やがて海へとたどり着く道となる。

 

たくさんの花びらにはもう生命はない。

でも、生命をもっているかのように

春風に促されて

母なる大きな木から飛び立ち、

川の道をずんずん進んでいく。

はるかに広い海を目指して。

 

この桜の花びらの冒険が、

春という始まりの季節にぴったりだ。

 

なんだか嬉しくなって

長い間、舞い散り流れる様子に見入ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

森友問題、もう飽きてても注目しておかなきゃ。風化はダメ!

北朝鮮問題に話題持って行かれて

最近森友問題が消えかかっている。

安倍首相は北朝鮮に助けられたとも言える。

北朝鮮危機をあおることで支持率は高くなるし、森友問題も忘れてもらえるしで。

 

森友問題は籠池氏自身は小粒で、

問題も小さそうに見えてしまうけれど

本当は核心部分は大きな問題だ。

 

国のあり方、国家権力のあり方に関わる問題だからだ。

 

国家権力にこびる人が優遇される国では民主主義が成り立たなくなる。

 

民主主義の下では

本来ならば、

国家権力<法の支配、ルール、手続き

であるべきなのに森友問題では

国家権力>法の支配、ルール、手続き

となっていたおそれがあるからだ。

 

説明が求められている方々、首相夫人や政府の役人は

「関係ない、問題ない」のであれば、

その旨を堂々と説明すべき。

 

そうしないと真相解明が進まない。

 

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住む場所で運命が変わる。

速水健朗さんの『東京どこに住む?』を読んだ。

この本に

”エンリコ・モレッティは著書『年収は「住むところ」で決まる』で「移住には投資と似た面がある」という。都市で暮らすということが、自分を成長させる機会になる。または、いい仕事に巡り会う機会の確立を高くすることになるということだ。”

 

とある。

 

つまり、

都市に住むことはコストがかかるが、

それに見合ったあるいはそれ以上の

成長の機会や出会いという果実を得られることがある

 

まさにその通りだと感じたことがある。

 

 

知人はこどもの公立小学校の学区のために千代田区に引越しをした。

知人のお子さんなのでもともと頭は良かったのだろうけれど、トップ中学に見事合格した。

 

ここまでは想定通りだったのだろう。

さらに、予期せず知人自身にも果実が。

 

知人と同じようなレベルの保護者が多く集まっていて、一緒に仕事をすることになったそうだ。

 

出会いの効能について

少し私自身の話をすると、

私はごく普通の公立中学校に通っていたが、

奇跡的にいい進学校に進むことができた。

今思い返すと、とても恵まれた環境にあったからだ。

当時は自分の力だけで進めたと思っていたけれど…(-_-)

 

中学生のとき私は今で言うSAPIXみたいな塾に通っていた。その塾の全国テストで毎回トップ、調子悪くても三位内に入る子がいた。

奇跡なのはなんとその子が同じ中学校に通っていたこと。

私からみればすごすぎて神のような存在。当然向こうからみたら私なんて全く相手にならない。だけど、塾のクラスも一緒だし、帰る方向も一緒だしで、なんだかんだ一緒にいることもあった。決して仲良しではなかったけど。

 

結果的に奇跡的にその子と同じ高校に進学できたのだ。そして、その高校に通えたことはその後の私の人生にいい影響を与えてくれた。

その子の存在がなかったらまず無理だったなと今だから思う。

 

私のような偶然の出会いはなかなか難しいかもしれない。

自分を高めてくれるライバルや仲間に出会えるよう自ら環境を整えること、住む場所を考えることは重要だと感じる。

 

 

廊下に立たせたり、怒鳴ったりするのは体罰じゃない?

運動会の練習中に飲水を我慢させ、

生徒を熱中症にさせた教師の記事を書いたが、その教師は着任一年で離任した。

 

心底安心した。

 

なにせ、授業参観ではいたって丁寧な言葉使いと優しい姿だったけれど、

普段は別人のようだったそうで。

 

教室がざわついていると、

低学年の生徒に向かって

「話してんじゃねーよ。出てけよ!」(注:教師は40代女性)

といったり、

 

配膳中に立ち歩いていた生徒に

「廊下で立ってろ。」

といって立たせ、その生徒が教室に入ろうとしたら

「普通の顔して入ってんじゃねーよ!」

と追い出したり。

 

教師がこの言葉使いでは子どももマネしてしまうよ。そして驚きなのが廊下に立たせること。私は自分が小学生の時廊下に立たせるのなど目にしたことはないし、耳にしたこともなかった。漫画の世界だけと思っていた。今も昔も大して教室の雰囲気なんて変わっていない。

 

廊下に立たせるっていうのは時代に逆行している気がするけれど、他の教師も教室の前方に立たせたりしている。

立たせるのはスタンダードな指導なのだろうか?私には体罰にみえるんだが。

 

しかも立たせている理由が凶悪な何かではない。おしゃべりしていたとか立ち歩いていたとか。罪に対する罰が重すぎ。釣り合ってない。

 

同じクラスを、この教師の前はもっと若い教師が担当していた。教室がざわついていたが、その若い教師は声を荒げることなく、ただ黙って生徒の方を向き、静かになるのを待っていた。さほど待つことなく、だんだんざわつきはなくなった。

 

力で押さえつけずとも、低学年のこどもでも自分で自分を律することができるのだと知って感心した。

 

もちろんこの教師は生徒に大人気。

子供からも親からも信頼されていた。

 

 

自分の怒りのままに、「指導」という名の「体罰」を子どもに課してはならない。

 

そして、低学年のこどもでも、ちゃんとわかっていて、そんなことをする教師のことは信頼しない。

 

オマケ

『給食の配膳中におしゃべりすると教室の前に立たせる』これには疑問が2点ある。

・配膳中におしゃべりをしてはいけない理由は?私の子供の頃は給食の時間はわいわい楽しく準備、食事したものだ。こどもの萎縮につながりはしないか?配膳中にしいんと静かに黙って待つなんて大人だって黙る理由がなければ無理で、おしゃべりするだろう。

・繰り返しになるが、立たせることは体罰ではないのか?立たせるほど重罪なのか?

 

まるで軍隊のような教育に恐怖をおぼえる。。

 

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ユナイテッド航空ひどい。怖い。人種差別?

ユナイテッド航空ひどい。

  

ニュースでやってた。

 

自社の社員を乗せるために

ちゃんと予約し、すでに搭乗し、座席に座っていた乗客を

飛行機から無理やり引きずり降ろした。

 

降機を拒否した乗客には全く非はない。

乗客は翌日に診察を控えたアジア系医師だった。

 

でも、血を流しながら床を引きずられて降ろされた。

 

何の罪もない彼に何で暴力がふるわれたのか?

彼が白人医師だったらどうだったのだろう?

そもそも白人は降機の対象に選ばれないのかも。

 

このトラブルやっぱりあれかな、人種差別からんでるでしょ。

トランプ政権になってから、

人種差別意識は隠さなくてもいいものになって、

より一層人種差別が深刻になっている。 

 

先の大戦の根底にあったのは人種差別だ。

白人至上主義下での、アジア人である日本人に対する差別。これに反発した日本人。

 

これからはアメリカ行くの怖いな。

ユナイテッドマイレージせっかくたまったけど怖すぎて使えないな。

 

 トランプ氏と人種差別の考察↓

 

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嫌な経験は二度とごめんだけど、貴重なのは確か。

こどもがまだ小さかったとき、ヤクザのような上司にいわれた。

「こどもがいないと思って働け。少なくとも7時ー10時だ。9時5時なら無給だ。」

は?

あまりに理不尽すぎて、すぐに腹がくくれて答えが出た。

もちろん答えはNO

それまでは恐ろしいと感じていた大きな力だったけれど、

全く恐怖はなかった。

 

それまでの私はおかしいと思ってもはっきりと異議を唱えることはなかった。

自分が我慢すればいいと思っていたから。

でも自分ではなく、こどもが不利益を被るとなれば別。

我が身を省みない不思議な力が出てくるみたい。

 

あんなことはできれば繰り返したくないけれど、

あの経験のおかげで、妙な自信はついてしまった。

どんな嫌なことがあってもあれよりはまし、とか

どんな手強そうな相手でもあれよりはまし、とか。

 

簡単にいうと戦うことに対して臆することがなくなった。

自分に面倒だとかいろいろ言い訳して事なきを得ようとするアレだ。

もちろんいつだって戦う訳じゃない。

感情にまかせて何でもかみついてたら体が持たない。

必要に応じて。

必要なときにしっかりと調べたうえで、正しいと確信することはきちんと主張する。

これに対する心のハードルは以前より低くなった。

楽しくもないし、決して楽ではないけどね。

 

そう思うと、あの経験がとても貴重にすら思えてくる。

私を強くしてくれたあの嫌な経験に感謝だ。

 

北朝鮮は『特別おかしい』のか?

いつも思うこと。

北朝鮮を非難する番組で

さも北朝鮮は『特別おかしい!』って感じにやっているんだけど、

『特別』ってことはないよね。

 

核ミサイルに関わった研究者が厚い待遇を受けるとか、

そんなのアメリカとかロシアとか他の核保有国だって全く同じでしょ。

核礼賛している人は世界中にいるし。

唯一の被爆国の日本だって事情は何であれ、事実として核兵器禁止条約に反対している。

 

北朝鮮の教科書で日本やアメリカのことをひどくいっているっていったって

日本だって園児に中国や韓国のことをひどくいうように教育している幼稚園もあるわけで。しかも、政府の要人のおスミつき。

戦前は敵国にもっとひどいいいようだったわけで。鬼畜米兵とか。

アメリカは日本人のことを黄色い猿と表現していた。

(とある番組を見ていて日本だって同じなのに何でこんなにコメンテイターがたくさんいても、ただ北朝鮮だけがおかしいというコメントばかりなんだ?と思ってみていたら元NHKのコメンテイターだけが戦前の日本の鬼畜米兵といったことに触れた。やっとまともなコメントがでたよと思っていたら、、ほとんど黙殺されていた。日本のことには触れてはいけない??様々なコメントを認めない番組はダメ。ただの洗脳番組だ。これこそ北朝鮮の偏った番組と同じでしょ)

 

「キムジョウン様」といってあがめる、あがめさせられるの、命をかけるのをおかしいというけど、

戦前は天皇をあがめる、あがめさせられる、命をかけるということがあった。

しかも安倍政権はこれを復活させようとしている。

何が違うのだ?

 

北朝鮮のやることを『おかしい』と思うことは非常に大事な感覚。

少なくとも戦前の日本にはなかった感覚だから。

この感覚は大事にしながら北朝鮮は『特別おかしい』わけではなく、

一歩間違えれば日本だってありうることを認識する必要がある。

現に現政権の下で近づきつつある。

 

北朝鮮のやることに全く同意できない。

同意できないからこそ、

反面教師にして我が身をふりかえって、日本はどうであるか、どうであるべきか考えるきっかけにしたいもの。

 

単なる非難からは何も学べないだけではなく、憎悪しか生まない。

その憎悪は相手(この場合は北朝鮮)と同じ土俵に乗って、皮肉にも相手に似てくるという結果をもたらす。

 

北朝鮮関連↓

 

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 愛国教育は日本で容認されている↓

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真面目な医師の妻は誰?

外国人ジゴロにはまってしまった真面目な女医さんについて書いたけれど、
男性医師もおんなじ。

 

知人男性は丁寧で紳士的な医師。

ある日、「妻の家族が来て案内して体調を崩した」と言っていた。

5、6人来たそうで。

5、6人?そんなにくる?

すると、

「妻はフィリピン人なんだ。」

彼は変わった男性には見えなかったので驚いた。 

 

というのも

私が接したことのある日本人男性と東南アジア系女性のカップルはみな、

男性は5,60代でギラギラしたオイリーな感じで

女性は2.30代で大抵蛍光ピンクで露出度高い感じだったから。

私の中で東南アジア人女性と結婚する男性のイメージが固定化されていた。

ま、偏見だけど。

 

 

そして、彼もまた、想像を裏切ることなく、

フィリピンクラブで出会ったという。

 

彼が私立の医大生だったとき、彼は留年してしまった。落ち込んでいた彼を悪友はフィリピンクラブに連れていき、その後彼は一年以上通いつめた。そういう中で未来の奥様と出会ったそうだ。

 

彼の実家は厳格な両親で当然大反対だったけれど、それを押し切っての結婚。

 

デキ婚でもなく、何十年と連れ添って今日に至る。

 

彼は真面目だからこそ、遊びで終わらすことなく、本気になって結婚したのだろうな。

 

別の知人は新宿近くの私立医大に入学するなり、新宿に通いだしたけど、
彼みたいなのは遊びはしても結婚しないんだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

国有地を格安購入できた経緯に忖度はあるのか?忖度の危険。

安倍首相夫人側からの問い合わせにより、お役人の忖度があったのかどうか。

ここをはっきりさせることが非常に重要。

 

なぜ重要か?

 

今回の国有地を格安で購入できた経緯が明確になるだけじゃなくて、忖度が大きな危険を含むものだからだ。

 

そもそも忖度とは

          →他人の心をおしはかること。

極めて日本的。

これこそ感情的判断。

忖度する人はさも対象となる者のために行動しているようだが、その実、自身の立場を守るための行動。

 

忖度の何がいけないか?

他人の心を読み間違えているかもしれないだけでなく、

忖度で手続きが消失する

これが重大なデメリット

 

手続きは感情的判断の暴走を食い止め、理性的判断をするための手段。

手続きが消失すると責任の所在がはっきりしないまま、物事が進行し、戦争のようなひどい結果につながる危険がある。

 

忖度の有無ははっきりさせて、あったのなら再発がないよう、ルールを徹底する必要が出てくる。

 

行政機関というのはルール執行のために

理性的判断をするところで、

感情的判断をするところではない。

だから感情的判断である忖度は持ち込むべきではなく、

お役人はきちんとした手続きや指揮系統の下で行動すべきなのだ。

 

それにしても、

お役所ではルール執行といって私たち国民にはハンコ一つ抜けてても書類を受け付けないくせに、

今回の森友学園の土地購入に関わった役人は書類すら残していないという。

それなら全く職務怠慢だ。

 

あるいは

ルールにのっとった正式な書類はなくても、

非公式な書類はあるのでは?

佐川財務局長にはぜひ提出していただきたいもの。

じゃないと職務怠慢だから、税金から出ている給料返金して欲しい。

 

森友関連↓

 

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 理性的判断と感情的判断↓

 

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中国旅行では牛肉の小籠包がオススメ

中国旅行の楽しみの一つは料理。

私は中華料理が大好き。

中国旅行で1番おいしかったのは

牛肉の小籠包

一つのセイロに8こぐらい入って200円くらい。豚よりもさっぱり、でもいいダシが出てる。タレもいろいろな香辛料が効いていて深い味になっている。

子どもも大好きで、朝からセイロ一つ分ペロリとたいらげてしまった。

日本でも食べたくて探してみるものの、

どうも同じタイプの小籠包はない。知人に聞いてみても日本では見かけないという。

 

他の中華料理も外れなく、おいしかった。

ただ一つどうしても食べられなかったゲテモノ以外は。

そのゲテモノとは…(ゲテモノが苦手な人はここでみるのをやめるのが賢明かも)

そのゲテモノの話の前に私のゲテモノ歴をちょっと。

 

 

わざわざ自らゲテモノを食べることはないけれど、

サバイバル精神から?出されたものは一応チャレンジして食べてみるという主義で。

これまでいろいろなゲテモノを食べてきた。

私からみたらゲテモノなだけで、地元の方からみたら普通の料理なんだけどね。

 

子供の頃、友人宅で食べた山梨か長野の虫のつくだ煮にはじまり、

カエルの足の唐揚げを食べたり(鳥のササミみたいな感じ)

オーストラリアではワニやカンガルーを食べたり、

モンゴルではマーモットの丸焼きを食べたり。(脂がよくのっていてお酒に合う)

 

どれも意外とおいしいのだけれど、

やっぱり2度目はいいかな。。

どんなにおいしくても食べるまでのドキドキが疲れちゃって。

 

そんな私でもちょっとムリと思ったのは

中国のイモムシの唐揚げ。

中国旅行中、知人宅で、レストランで何度も登場する。

知人はみなおいしいおいしいと言って食べ、数ある他のおいしい中華料理をさしおいて、必ず最初に皿が空になる。

知人も私に「エビみたいでおいしいよ!」と熱心に勧めてくれるのだけどムリだった。

たぶん食べたら食べたでおいしいんだろうけどね。

勇気ある方はぜひ試してみて。