毎日ある♪幸せの瞬間
熱すぎないぬるすぎない ぽっかぽかのお風呂に入る
幸せ
夜子どもとくっつきながら眠る(まだ一緒に寝てるw)
幸せ
愛する子どもとただ一緒にいられる
幸せ
怒りを感じてもいいんだよ。ー「普通がいい」という病
『「普通がいい」という病』ー泉谷閑示
という本を読んだ。
「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)
- 作者: 泉谷閑示
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/10/21
- メディア: 新書
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精神科医の先生が書いた本で、
はじめだけ読んで精神疾患の話かと思って中断していた本だ。
しばらくぶりに読みすすめてみると精神疾患の専門的な内容というよりは誰にでも通ずる哲学的な内容だった。
「怒り」に対する見方が変わった。
「怒り」は大切な感情だと知って腑に落ちると同時に気が楽になった。
時々ふとした瞬間に過去の出来事に対する「怒り」がこみあげてくることがある。
「怒り」の感情を抱いている自分に自己嫌悪を感じて、あわてて「怒り」にふたをする。
だけど「怒り」は感じてもいいんだ。
ふたをしたりせずに、ノートでもなんでもいいから「怒り」を吐き出しちゃえ。
「怒り」の向こうにありのままの自分の心があるから。
国と森友学園の交渉記録は全て破棄!
「近畿財務局と「森友学園」の交渉記録は、契約成立とともに「廃棄」したと佐川理財局長。」
あれ?これ最近も聞いたセリフ。
南スーダンの日報と同じだ。
記録も国有地も
お役人や議員のものではないから。
私たち国民のものだから。
彼らは単に私たちに委託されているだけ。
そもそもお役人にいたっては、頭がいいかもしれないけれど、私たち国民に選ばれて委託されているわけでもない。
勝手に捨てたり、タダ同然で売り払ったりしないでといいたい。
また、国の言い分だと、
森友学園が汚染土を本当に入れ替えたかも、
入れ替え費用に8億円(費用を8億円と見積もったのは業者でなくて、国)かかったかも、
確認は不要なんだと。
しかも、森友学園は汚染土をまたグラウンドに戻すよう業者に指示。
(これは業者からの内部告発によってこの事実が明るみにでたようです。ひどいアンモニア臭がする土で、子どもの健康を軽視する学園を子を持つ親として許せなかったと。)
こんなことしてるんだから、汚染土の入れ替え費用に8億円かかってないよね。
子どもたちに「安倍首相バンザイ!」って言ってもらえるからって、
安倍昭恵夫人がこんな子どもの健康を軽視するような小学校の名誉校長を務めていたとは。
こっそり学園のホームページから夫人の名前を削除しても、(まるでトカゲの尻尾切りみたい!)これでもう関係ないとはいえない。
お役人が扱っているものは、
彼ら個人の所有物ではないので、
自分たちに都合のいいように扱うのではなく、
本来の所有者である私たち国民に変わって
土地のゆくえをしっかり確認すべきなのです。
そして、税金を払っている私たちは、彼らお役人や議員の働きをしっかりと確認して(監視して)いく必要があります。
そうしていくことで、健全な社会が機能し、国の私たちの財産がしっかり守られ、真の強い日本へと繋がるのです。
自分を苦しめていたのは何?
自分は誰からも自由でありたいと思っていた。
自分は誰からも自由だと思っていた。
でも苦しい。とても苦しい。
がんじがらめになっている気がする。
どうして?
やっと気付いた。
自分を誰よりもきつく縛っていたのは
ほかでもなく、自分自身。
いつのまにか
変化のストレス を回避して、
自分自身を型(合わない環境)にはめ込もうとしていた。
型にはめられるのが何よりも嫌いなはずなのに。
その日は気付けたから記念日♪
自由になるために必要なもの
誰かに命令されたくないし、
誰かに命令したくもない。
ただ自分らしくそこにいたい。
そのために力が欲しい。
学歴とか社会的地位とか結婚とかで
その人の価値は決まらないと思う。
でも世間ではこれらの要素で人を判断する人も多いのも事実。
人にあれこれ言われない程度の学歴とか社会的地位とか結婚とかを鎧のように身に付けて
ようやく少し、自由になれる。
そんな鎧がなくても自由に生きられたらいいのに。
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1番♪贅沢な休みの過ごし方
ある日、初めて理由なく休みを取った。
たぶん心もからだも疲れてたから。
無意識のうちにせっかくの休みを有意義に使わなくちゃと、マッサージに行こうか、友だちに会おうか…とかあれこれ考えた。
で、気付いた。
1番贅沢な過ごし方は何の予定にもしばられることなく、
気の赴くままに過ごすことだと。
冬とは思えないぽかぽかしたやわらかな日差しの中、
ふかふかの芝生にすわって、
どうどうと幹の腕を伸ばした大きな木をぼうっと見上げていた。
木に守られている気がして安心して涙がこぼれそうになった。
悩んだときの魔法の言葉☆
いろいろな悩みに心をとらわれることがある。
その悩みも悩めば悩むほど答えに近づくってわけでもなくて、
ただのどうどうめぐりに陥ってることが多い。
どんどん心が重くなって、苦しい…
そんな時の☆魔法の言葉☆
「あっ、でも、それで(そんなことで)死んじゃうわけじゃないし。」
心の中でつぶやくと
あら不思議♪
その悩みはあっという間に小さく小さくなるのです。
そして貴重な時間を奪われていたことに気づけるのです。←ここが一番重要☆
ニーチェの言うように悩んだら寝ちゃうってのも方法です!↓
ママの永遠のテーマ。仕事と家庭の割合はどうする?
仕事と家庭の割合をどうするべきか?
正解なんてない。
人間の一日は24時間と決まってる。
だから仕事の時間が増えれば家庭の時間が減る。
その逆も然り。
どちらの時間も増やすなんて不可能。
それぞれの女性がそれぞれの価値観で
自分が満足する、幸せだと思う割合にラインをひけばよい。
ほかの誰に決められるものでもない。
ほかの誰かと比較するものでもない。
人生において価値をおくものや幸せに対する考え方、置かれている状況がみんな違うのだから。
現実的にはその選択が難しい状態にある女性も少なくないかもしれない。
女性に対する支援策などがさけばれているが、
一律に働け、休めというのではなく、
あくまで女性が主体的に人生、生活を選択できるような支援が必要だ。
こちらもどうぞ↓
子どもが赤ちゃんだった頃を思い出して幸せな気分に包まれる。
久しぶりに生まれた頃の子供の写真が急に見たくなって見ていた。
子供と一緒に
こんなだったんだよー
可愛い☆
って話しながら。
そのうち昔のブログ(これとは別のブログです)を見たくなった。
自分の書いた昔の記事を見るのは
なんだか恥ずかしくて(誰にもばれないけど)
全然見てなかった。
でもその頃の子供のこと思い出したくて見てみた。
自分でもすっかり忘れてたちょっとした日々のエピソードもたくさんあった。
自分でいうのもなんだけど
読んでいるとその頃の気持ちがまざまざとよみがえってきて
幸せな気持ちに包まれた。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
二度とこない子供との大切な日々を失うことなく、
丁寧に過ごせたことの幸せ。
こうした日々の思い出は
何にもかえられない
大切な財産。
一時的に仕事で丁寧に向き合えなかったこともあった。
でも、その時期の頑張りが今のくいっぷちにつながっていることもあるから難しいところでもあるんだけど。
これからも家族でかけがえのない日々を丁寧に過ごしたいな。
子どもは私の希望
こどもは
私の人生に希望を与えてくれた
大切な存在
だから毎日ぎゅっとしながら伝えてる
「お母さんの大切な宝物だよ」
「みんなが大事に思ってるよ」
って。
こどもを思う気持ちは今も昔も一緒☆↓
マウンティング満載のうわさ話は疲れる。
結婚式や同窓会、 ママ会で
「誰々はこうゆう経過で今こうしてる。」
そして
「すごいね〜!」とか「そんなことになっちゃってるんだね」とか
あれこれ評価を下す
なんていう会話はよくあること。
個人的にはちょっと面倒くさいと思ってる。
(私にお披露目するような経歴もないからかもしれないけど)
そこにいない誰がどうしたとかそんなに興味ないし
(そうゆう生き方もあるんだね、みたいな参考にはなるかもしれないけれど)、
私のいないところで私がどうしたとか話されたくもない。
人生に気が抜けない気がして息がつまりそう。
今いる「場」が合わなかったら、どうしたらいい?
行き詰まったと感じたとき
そのまま無理してその場にとどまるよりは
進める道を探して、
とりあえず進んでみるといい。
進んでみないとその道が自分にとって心地いいか悪いかはわからないし。
何より新しい人や仕事との出会いがあるから。
場を変えて、おもしろい生き方をしている人に会えて話が聞けたことがある。
これまでの場では出会えなかったような人。
ご本人は自身の人生を変わってると言っていたけれど、私には魅力的にみえた。
いろんなこと試してみて失敗したり成功したり。(結構失敗してるwでもめげてない)
『好きなようにやってる』と本当に楽しそうに話していた。
まぁお金があればこそなんだろうけど。
こうゆう人と出会えて話が聞けただけでも十分場を変えた意味はある。
こちらもどうぞ。↓
子どもが手紙をくれた。地球を守りたい。
昔、こどもが手紙くれた。
急に書くっていいだして書いてくれた。
たどたどしい、覚えたての字で。
『おかあさん ちきゅうがきれいになったら
いつか いっしょに ぼうけん いこうね』
うん。
いっしょにちきゅうをまもっていこうね。
ぼうけんかならずいこうね。
わたしたちが守ってもらったように
こどものこどもも、そのこどもも
水と緑あふれる生命豊かな地球に守ってもらえるように。
「子どもがくれた言葉に癒される」というのもあります。こちらもどうぞ☆↓
森友学園への国有地払い下げ。道徳での心が評価。愛国教育復活か!?
中国の愛国教育を『キモチワルイ』と感じたことのある人もいるでしょう。
実は日本でも愛国教育が復活しつつありますョ!
国民の財産である国有地が森友学園に激安価格で売り払われていましたが、この小学校は安倍首相の夫人、阿部昭恵さんが名誉校長を務めており、「日本人としての礼節を尊び、それに裏打ちされた愛国心と誇りを育て」ることを教育理念としているそうです。
この学校の学校法人が運営する幼稚園では園児に教育勅語を毎日暗唱させ、在日韓国人や中国人への差別発言をしているといいます。
そこに『礼節』はあるのでしょうか。
どんな『礼節』を教え込まれるものか恐ろしいものです。
安倍首相ら、国はこのような小学校や幼稚園を国(国民)の財産を使って不当に支援しているかもしれないのです。
彼らは着実に愛国教育への歩を進めています。
また、安倍政権の方針で道徳は評価を下す教科として格上げされます。
戦前の愛国教育への反省から、
心のあり方を評価することは禁じられてきたはずです。
でも、戦前のような、国による国民を管理する体制を目指している安倍政権は、心のあり方を評価することで、
人々の心もコントロールしようとしています。
(これは憲法の『内心の自由』に反しないのだろうか?心のあり方を評価されるんだったら実質自由はなくなるよね。彼らは現憲法なんて気にしないからいいのか。。)
このような状況では、よりよい社会や人生をめざして、
自分の考えや思いを自由に交換する真のディスカッションがますます難しくなります。
評価がよくなるような言葉や表現が並べられるだけになるのです。
愛国教育に人々の幸せはあるのでしょうか?
*内心の自由とは精神の自由のこと*
日本国憲法 第十九条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
『共謀罪』でも国による国民のコントロールが強められそうです↓
ママが仕事をする意味は?
こどもが第一優先で仕事する場合、心理的にいろんな矛盾が生じる。
こどもの体調不良や行事参加に対応するために、責任の軽い仕事を選ぶことになる。
残念ながらそこにあまりやりがいはない。
こどもとの大事な時間を削ってまでする仕事の意味はなんだろう?
何のために仕事をするんだろう?
お金だけではない何か。
やりがいが軽くても、仕事が
社会に必要とされ、認められているという「自信」につながっているのは確か。
働くママへのエール!はこちらにもあります。↓