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いつか晴れてほしい空2

小学生のママが社会、教育、生き方について思うあれこれ。

教室は一人の教師の独裁国家

給食の配膳中に静かにしていないと前に立たせる教師について以前紹介した。

 

姿勢を良くしていないと、給食は配膳されないし、下膳もさせてもらえない。

 

これってなんか意味あるの?

 

理由が知りたい。

 

理由がないルールを強制される苦痛。

 

これを強制する教師本人は居酒屋でそんなに静かに背筋を伸ばして、配膳を待っているのだろうか???

 

子供達をただ従わせるのが目的だとしたら、

戦前の教育と同じ。

 

民主主義の下では全てのルールにはなぜそうしなければならないのか、なぜそうしてはいけないのか、の理由が必ずある。こどもにも理由を明確に説明する、あるいは考えさせるのが教師の仕事ではないか?

 

まるで独裁国家のように自分たちの都合の良いようなルールを一方的に子供達に課す現状を見ていると、

日本において権力に従順な大人が量産されるのも無理はないなと感じる。

 

 

itusora.hatenablog.com

 

itusora.hatenablog.com

 

 

 

 

 

ボードゲーム「おばけキャッチ」で楽しく集中力、反射神経をきたえよう☆☆☆

 こどもが通う習い事で休み時間にこどもたちがはまっているゲームがある。

 

お化けキャッチというボードゲーム

 

どんな人数でも、ちょっとの時間でも、楽しめるのが休み時間に遊ぶにはちょうどいいみたい。

 

ルールはとても単純なのに楽しめるのが魅力。

《内容》

箱の中に

本(青)、いす(赤)、おばけ(白)、びん(緑)、ねずみ(グレー)のアイテムが入っている。

この他にアイテムのイラストが描いてあるカードが何十枚か入っている。

《ルール》

カードをめくって皆の前に並べられたアイテムを一つキャッチする。

一番に正しくキャッチできた人がカードをもらえる。

カードの多い人が勝ち。

 

このカードに2つのアイテムのイラストがあるが、

実物のアイテムと色が違う場合、そのカードにないアイテム、色のアイテムを素早くキャッチする。これは自ずと一つのアイテムに決まる。

実物と同じ色のアイテムが描いてあれば、それを素早くキャッチする。

 

単純でしょ?

でも、キャッチするの意外と難しくて、キャッチした後も自信が持てなくて

「これでいいんだよね?」と確認せずにはいられない。

認知機能と反射神経、集中力が試される。

こどもの方がキャッチできたりする。

 

年齢問わずできます。

高齢の方は脳機能低下防止になりそう。

おばけかわい~♪

 

おばけキャッチ:日本語箱(メビウス/ツォッホ)

おばけキャッチ:日本語箱(メビウス/ツォッホ)

 

こんなのもおすすめ↓

 

itusora.hatenablog.com

 

 

被爆再現人形は展示を継続すべき

広島の平和記念資料館で被爆再現人形が本日撤去される。

 

広島市は撤去理由について怖いからということではなく、現実はもっと悲惨だったということを反映していないからだとする。

 

つまり、刺激が強すぎるからではなく、刺激が足りないからだという。

刺激が足りないなら普通、増やすんじゃないの?

撤去したら刺激ゼロじゃん。

 

被爆再現人形の伝える方向性は間違っておらず、程度の問題なんだから、

一言「もっと悲惨だった」とそえるなり、

人形の数を増やすなりすればいい。

 

それをやらない広島市の論理は破綻している。 

結局、刺激が強すぎるから撤去ということでしょう。

 

近年「刺激が強すぎる」という理由で、

はだしのゲン」が学校から撤去されている。

映画「この世界の片隅に」も戦争、原爆の描き方が従来の戦争映画と違ってマイルドで、感情的に受け入れやすかったからヒットしたといわれている。

 

先日、人は「見たいものしか見ないし、見えない」という記事を書いたが、

人は放っておくと、心地良い方へ流れてしまうもの。

美しいものだけを見て、おぞましいものは見たくない。

 

現実には美しいものだけでなく、おぞましいものもあるわけで、繰り返さないようにするためにもおぞましいものにも目を向けなければならない。

 

見てもらえなければ、わずかでも伝えることができないので、入り口、きっかけは多少マイルドでもいいかもしれない。

だけど、奥には刺激が強くとも真実に近い被爆再現人形を展示する工夫をしたらどうか。

 

 数年前、こどもと広島の平和記念資料館に行った。

小学校に入る前のこどもにとっては解説パネルなど理解できるはずもなく、興味ももてない。

焼け残されたお弁当箱や服をみても、いまいちピンときていないようだった。

弁当箱や服から、人間がどうなってしまったか想像ができない。こどもに限らず、知らないことは想像できないからだ。

 

でも、被爆再現人形を目にして恐ろしいことは理解したようだし、興味も持ったようだった。

 

一番知りたいし、伝えたいのは原爆投下で人間に何が起こったのか?だ。

 

被爆再現人形を見せることで

どんな年齢の人にも、

言葉がわからない人にも

原爆は人間を悲惨な状態にする

と伝えられるのではないだろうか?

 

だから、被爆再現人形は展示を継続すべきなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

神を感じるとき

宗教施設の美しさに神聖な感覚になることはあっても、神を感じることはない。
どうしても、人が生み出したものの中に神がいると実感できない。

そこに人々の思いや願い、祈りはあると思うけれど。

 

でも神を否定しているのではない。

 

私は神はいると思う。

 

神はいる と確信する瞬間がある。

 

それは自然の中に、宇宙の中に
シンプルでムダのない美しい調和が保たれているのを見るとき。

 

ある植物の葉は真上から見て、222.5度ごとに位置していくそうだ。
そうすれば、葉が重なることなく、太陽の光をあびられるから。

 

人から見れば自然災害と思える現象にも、意味があったり、
どんな命にも意味があって、他の命へとつながったりしていく。

 

すべては自然の 調和 のため。

 

人が生まれるずっと昔から保たれてきた
人の想像を遥かに超える
調和と秩序。

 

ここにこそ神を感じ、
この調和の中に自身も組み込まれていることに不思議な安堵感を覚える。

出会いは玉石混淆

『出会い出会い』っていうけれど、

ただ多くの人と出会えればいいの?

 

出会いにも質があるよね。

 

出会いによって運命が変わることもある。

良くも悪くも。

次のステップへと導く出会いもあれば、

破滅へと導く出会いもある。

 

だからとりあえず出会ってみようというわけにはいかない。

 

誰と会うかは五感を研ぎ澄ませて決めよう。

 

 

人は見たいものしか見ない、見えない。

人は見たいものしか見ないし、見えない。

 

ホントにその通り。

 

本屋さんで本を手に取る度に思う。

 

様々な視点で物事を見なくては

と頭ではわかっていても、

自分と反対意見の本は読んでいて苦痛だし、

貴重な時間を無駄にしたくないなどと感じてしまう。

そもそも目に入らないこともある。

 

多様な視点を得ようとすることは重要だけど、

実は自分の許容範囲内でしか視点を得られていないことを自覚することも重要。

 

法律を「知っている」ことは力になる。

「道徳教育する前に法律教育を。」

「日本人は法律を知らなすぎることに問題がある。知らないがゆえに官僚と警察のいいようにあしらわれ、守れないようないい加減な法律が次々とつくられている。」

と、和田秀樹さんは著書『この国の冷たさの正体』で主張している。

 

 

交渉の際に「知っている」方が圧倒的に有利になり、「知らない」方が圧倒的に不利になる。

交渉は生きている限り、様々な場面で登場する。子供の頃からずっと。友人、先生、店、会社・・

 

法律を知っていることが人生を救うこともあるだろう。

 

このようにいう私は法律の専門家でも何でもないので法律は詳しくない。

でも、法律の教育が必要だという主張には同感だ。法律の専門家だけのものにしておくものではないと思う。

 

法律はどんなに難解であっても、私たちの生活や人生に深く関わっているものであり、人生を左右しうるものであるから、「興味ありません」というわけにはいかない。

 

法律の教育を増やすことで、

人々が自身を守ることや

法律に対する関心を高めることにつなげることができる。

つまり、法律の教育は『力』となる。

 

官僚の上げてくる法案に対して、

受け身で言われるがままになるのではなく、

監視の目を持って見つめることができるのではないだろうか?

 

例えば、

共謀罪?」

「何それ?(自分には関係ないね)」

ではなく、

「どんな法律?」

という反応になるのではないだろうか?

 

この国の冷たさの正体 (朝日新書)

この国の冷たさの正体 (朝日新書)

 

 和田秀樹さんの本を読んで書いた記事↓

 

 

itusora.hatenablog.com

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ブランドかどうかで判断するママ達

ブランドの服を着せたり、有名な塾に行かせたりするのがいいという前提で話すママ達がいる。

ブランドかどうかで人や物を判断している感じでこの手の話題は苦手。

 

服だって塾だってその子に合っているかが重要で、ブランドものだから有名だからって選ぶものではないと思うんだけど。

ブランド名とかしらないし。

 

この感覚私だけかなと思っていたら、

別のママ(さっきの前提ママ達よりずっとお金があるママ)も「なんでそんなところこだわるの?」と思っていたそうだ。全く同感。

 

物を購入するとき、基本的には現物を見て自分が気に入ったら購入するわけで、それが結果的にブランド品とかってことはあるにしても、ブランド品だから購入するわけじゃないから、ブランド名とかあまり覚えてない。

使用感が気に入ってまた購入したいときは覚えてることもあるけど。あそこにあるあの店みたいに覚えてる。

 

 彼らはタワーマンション買うなら上層階が絶対いいという。

なぜ?景色?見栄がはれるから?すみません、それしか思いつかない。

私は自分が居住するなら低層階がいい。面倒くさがりだから。さっさと地上に着きたいのだ。災害時に上り下りが大変そう…東日本震災のときは実際にエレベーターが止まって下に下りれないとか聞いたし。なんだか、タワーマンションの上層階ってボラれている感が否めない。。業者にとってはタワーマンションておいしいんじゃないのかな。

でも、上層階の方が欲しい人が多くて、売却時に値上がり幅が大きいとか節税目的(今はどうなのかな?)とかなら上層階の方がいいと思う。まぁでも、タワーマンションの上層階を買うお金があるなら、もっと都心の低層住宅に住んだ方が良いような。。

 

ちょっと横道にそれたが…

ブランドだからいい、ブランドじゃないからよくないと決めつけるのではなく、

自分の感覚を信じて、 

良いと感じた物を手に入れる方が

自分にとっての幸せにつながると思う。

 

本当はあんまり欲しくもないブランドものを見栄のために購入して幸せなのは購入した本人ではなく、お店だ♪

専業主婦は活躍しているとはいえない?

安倍政権は『一億総活躍社会』(戦前の『一億総動員』みたいでキモチワルイ)を掲げているけれど、

この『活躍』には外での労働のほか、家事労働での活躍も指すのだろうか?

 

これは外の労働での活躍のみを指しているそうだ。

専業主婦のこれまでの家事労働での活躍は『活躍』とは認められないということ。

 

 

私から見れば、外で労働する女性も専業主婦もどちらも『活躍』しているのは間違いないのに、

なぜ、専業主婦の活躍は認めてもらえないのだろう?

 

専業主婦の家事労働には金銭が発生しない。(この状況を『逃げ恥』では『愛情の搾取』といっていた)

だから、労働ではないとか、楽だと考える人も少なくないけれど、

外注したらそれは労働と呼ばれ、その内容や拘束時間からみて、大した金額になる。

家事労働は立派な労働なのだ。

 

今、安倍政権によって女性の活躍の仕方を選ぶ権利が奪われている。

「活躍の仕方を選ぶ権利が奪われる」ということは「生き方を選ぶ権利を奪われる」ことだともいえる。

自分に合った活躍の仕方、生き方があるし、家庭の事情もある。

 

 外で労働しないのはダメという価値観を押しつけては、

家で十分に育児をしたいという人や親の介護で働けない人が後ろめたさを感じなくてはならなくなるだろう。(ちなみに安倍政権は憲法改正案で「家族の問題は家族だけで解決するように」といっている。「外で労働しないとダメ」と「家族だけで解決」の両立は不可能。)

 

何よりも怖いのは『一億総活躍』が『一億総動員』になる日だが・・

 

参考↓

 

この国の冷たさの正体 (朝日新書)

この国の冷たさの正体 (朝日新書)

 

 

 

 

 

テレビに洗脳されていないか?

民放テレビは自分たちの考える「正しいこと」を一方的に流す。

作り手がいる以上、完全な中立などあるはずもないが、

そのことに無自覚なまま、

作り手は『さあこれが「正しいこと」ですよ』と流し、

視聴者も『テレビがいっているんだから「正しいこと」にちがいない』と受け入れる。

まるで洗脳だ。

洗脳されてしまうことを考えると、『ただより高いものはない』とはこのことだと思う。

 

しかも驚いたことに、NHKも含めて、論調が同じ。

中立は不可能であっても、局によって多様な論調があってもいいのに。

タイミング合わせたんですか?というぐらい横並びでおんなじニュースが流れている。

どのチャンネル見たって同じだから一つでいいのではと思う。

 

最も疑問に感じたのは、本人にとってあまり掘り起こされたくない話題だろうけれど、ベッキーの不倫の話題の取り扱い方。

NHKも含めてすべてのチャンネルでこのニュースをトップで取り扱っていた。

それからほぼ毎朝この話題は登場した。

 

通勤の支度で忙しい朝に必要な話題なのか??

 

トップニュースで扱うような重大さも緊急性もないし、

私たちの生活に直接関係ないことではないか。

あるとしたら視聴率を稼げそうな話題性だけ。(個人的には不倫は許し難い行為だけれども、ベッキーが女性だからこんなにたたかれているのだろうと感じて、このニュースを視ると不愉快な気分になったが。現に渡辺謙の不倫はほとんどたたかれていない。この差はなんだ?)

ベッキーの不倫よりも世界を含めてもっと知らせるべき重要なニュースはたくさんあるのに。

 

このような状況で日本のテレビだけを視ていても多様な情報は得られないし、

危機に際してより正確な情報を手に入れられるか心配になったので、

海外のニュース番組などもいくつか視ることにした。

有料だけれど、一方的に洗脳されるよりはずっといい。

 

 

 

 

多数派は正しい?

少数派を「正義」をふりかざしてたたく人がいるけれど、
そこには「正義」を隠れ蓑にして、多数派に付随する「強さ」を利用して優越感に浸りたいというズルイ心しかない。

 

そもそも多数派は「正しく」て、少数派は「間違っている」のだろうか?

 

民主主義のデメリットは

 

多数派が「正義」と勘違いすること。

多数派が「強い」のは確か。

 

「強い」者が「正義」を定義する現実を見れば、(イラク戦争でアメリカがイラクを証拠もなしに一方的に悪と決めつけて、攻撃したことなどを考えてみて)

多数派は「強い」ので「正義」だということはあるかもしれない。

 

でも、真の意味では「正義」とはいえない。

 

「正義」なんて絶対的なものはない。

立場が違えば真逆にもなるのだから。

だからって「正義」について考えなくてもいいわけではない。

 

常にその時その状況、立場での「正義」を

人数が多いとか他の人がどうかなどに惑わされる事なく、

自分の頭で考える習慣が大事。

 

難しいのはその「正義」が自分の頭で考えたつもりでも、

たんなるマスコミの刷り込みかもしれないってこともあること。ここ注意。

 

 

 

 

 

私はいつまでも母親のこども♪

実家で母親と話していたら
なんと
高校の制服や部活の道具、学園祭のTシャツまで残っていると言ってタンスの奥から出してきた。

すでにくたびれきっている。


母親は
「これどうしたらいいの?」
とか言うけど、
今知ったし。
高校卒業して何十年も知らなかった。
そもそも残しておいてなんてなんて言ってないんだけどな?(-_-)

 

さすがに着れないほどくたびれているから、
(というか制服なんて絶対に着る機会はない。)
捨てていいと思う。


でも、せっかくとっておいてくれたのに、
むげに『全部捨てていいよ』とも言えず、
「このTシャツは捨てていいよ」
といった。

 

そうしたら、母親は非常に名残惜しそうにしている。
「洗えばなんとかなるね・・」
って?
『どうするの?』と言いつつ捨てたくないのは母親の方じゃない?!

 

あーでも今ならわかる、その気持ち。
私も子供の赤ちゃんの頃の服とか思い出が染み付いていて、捨てるのに勇気がいったから。

 

母親にとっては私はいつまでもこどもなんだよね。
ま、私にとってもいつまでも親は親だけど。

先日路上で配っていた『共謀罪反対』のチラシを受け取ってみた。

民進党旧民主党)が崩壊しつつある。

 

民主党政権交代したことの一番のデメリットは

野党が失われてしまったこと。

 

野党が野党としての存在感や

与党に対する一定の歯止めを

完全に失ってしまった。

 

与党の法案ややり方に不満を持つ人々の思いは

受け止められることなく、漂うばかり。

 

この国ではマイノリティーであることは

非常に弱い立場に置かれることだ。

容赦ない攻撃を受ける。

 

だから、自分の政治的思想や意見を自信を持って表に出すことができない。

何をされるかわからない、怖いという感覚。

特に司法や行政が公正に機能せず、権力になびく国では。

ましてやこれからは政権と異なる思想を持ち、活動していたら

治安維持法(この法律も元々は一般の人や社会運動家などは取り締まらないといって成立させた経緯がある。しかし結局、しかし結局2000人以上が拷問死。戦争反対の声も上げられなくなった。)とそっくりといわれる『共謀罪』で監視されたり、逮捕されてしまうかもしれない。

 

でも、自分と同じ考えの人々の活動は応援したいと思う。

 

先日路上で配っていた『共謀罪反対』のチラシを受け取ってみた。

ただ受け取るだけ。

だけど、ティッシュを受け取るのと違って、勇気が必要なのだ。

応援の気持ちを表したくて受け取った。

 

議員さんにお話を聞いたとき、街頭でなかなかチラシを受け取ってもらえないと嘆いていらした。受け取ってもらうことが、力になるともおっしゃっていた。

 

まずは一歩。

 

オマケ

ちょっと疑問。友人と政治の話をして、根本的な部分で相違があった場合、友人関係は維持できるのだろうか?アメリカなどは日本と比べて政治思想をはっきりと表明するようだが、例えば、トランプ派・反トランプ派で友人関係を維持できているのだろうか?

 

共謀罪について↓

 

itusora.hatenablog.com

 権力になびかないアメリカ↓

 

itusora.hatenablog.com

 マイノリティーに対するいじめ↓

 

itusora.hatenablog.com

 

 

itusora.hatenablog.com

 

 

横浜の緑化フェアがステキ☆

今横浜みなとみらい地区中心に「全国都市緑化よこはまフェア」が開催されている。

 

はじめてだったので

単に一部がお花畑になっているだけなのかなと思っていたら、

あちこちがお花畑になっているし、

今の季節、桜とのコラボでさらに華やかに。

ぱあっと晴れやかな気分になる。

 

また、お庭のコンクール作品もたくさんあった。これもはじめてで、その庭一つ一つの世界観に浸るのが楽しい。子どもも楽しめそう。

 

効率ばかりが重視されたメタル的で無味乾燥な都市ではなく、

こんな風に緑あふれる都市が未来都市の姿だと思う。

緑あふれる都市こそ、都市としての余裕やゆとりを感じる。

 

桜の花びらの冒険

春の優しい風に吹かれて

川沿いの桜並木から花びらが舞う、舞う。

 

太陽の光と川の水面に反射した光に

きらきら照らされながら、散る、散る。

 

川のみなもに舞い降りた花びらは

川の流れでひとすじの桃色の道となる。

 

やがて海へとたどり着く道となる。

 

たくさんの花びらにはもう生命はない。

でも、生命をもっているかのように

春風に促されて

母なる大きな木から飛び立ち、

川の道をずんずん進んでいく。

はるかに広い海を目指して。

 

この桜の花びらの冒険が、

春という始まりの季節にぴったりだ。

 

なんだか嬉しくなって

長い間、舞い散り流れる様子に見入ってしまった。